謎多き天才が残した一枚の絵画をめぐる、
超大作アート・ミステリー。
写真家の宗像は、偶然訪れたロンドンの画廊で、一枚の肖像画に心を奪われる。絵画の名は、夭折した謎多き天才画家ピエトロ・フェラーラの「緋色を背景にする女の肖像」。フェラーラの足跡を追い求めてたどり着いたポルトガルの地で、宗像は美術界を揺るがす秘密に迫っていた。美術界と建築界に燻るスキャンダル。その深部と絵の謎が交錯していく。アートに翻弄された人々の光と影を描き出す、壮大なミステリードラマを連載でお届けします。
宗像がロビーで余韻に浸っていると、先ほどのコンシェルジェが再び近づいて言葉をかけた。
「絵はいかがでしたか? ラファエル前派の絵が多かったでしょう!」
「歴史的にポルトガルとの関係が強いイギリスを考えて、ラファエル前派を中心に据えたのでしょうかね? 人間の、つまり言い換えれば男と女のシンボリズムにスポットを当てるとは、なかなか個性的な展示コンセプトです。さすがに噂に違わぬ良い美術館ですね。東京に帰ったら皆に宣伝しておきますよ」
そう答えると、すかさずコンシェルジェが眉根を寄せながら口を挟んだ。
「お褒めいただいて本当にありがとうございます。しかし、まことに残念ながら……」
「残念ながら?」
「はい、十年前にこのホテルと美術館の所有者が変わりましてね。前オーナーであるロイドさんが手放しまして、現在のセテンタ・グループの所有になったのですが……」
「いま何ておっしゃいましたか?」
宗像は思わず声を張り上げてしまった。
「このホテルの創設は今から七十年前といわれております。しかし四十年前のことですが、ロンドンのロイドグループがこのホテル・プリメイロを買い取り、同時に美術館を増築して、多くの美術品を飾るようになったと言われております。現在のオーナーも芸術に彩られたこのホテルが世界中の多くの顧客に評価され、その結果、皆様にお泊り頂いていることはよく承知されております。ですからプリメイロ・ホテルは芸術作品と一心同体であることがセールス・ポイントだとして、当時は一緒に買い取ったのですが……」
こう言いながらコンシェルジェはあたりを見回し、ちょっと声をひそめて囁いた。
「新しくオーナーになったセテンタ・グループは、最近、別の大きい事業に失敗したために全ての美術品を手放すことにしたと噂されております。何でも、近いうちにロンドンのソロモンとかいうところで競売にかけられるとか? でも、このホテル・プリメイロも隣のカジノ・エストリルも権利は手放しません。美術品だけ処分するそうです。私にはこれらの絵がどれほどの価値のものかは分かりませんが」
※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商