(3)前田三代 宮家との姻戚関係

私:さらに家光から利常に上意があり、富姫(利常3女)が八条宮智忠親王に輿入れとなる。当時は武家から宮家に嫁ぐことは誰も考えなかった。八条宮家は桂宮家とも呼ばれ、桂離宮はつとに有名だ。

N:八条宮智忠親王の血筋は?

私:後水尾天皇のいとこ。

N:ということは珠姫を介して、利常は天皇の義兄であり、親王の義父ということになったのですね。

(4)徳川の前田 徳川からの降嫁

私:次は「徳川の前田」の将軍家からの降嫁と将軍養女の降嫁を述べよう。将軍家からの降嫁は溶姫(11代家斉)のみで、将軍養女の降嫁はない。

N:溶姫を迎え入れた赤門が東大の赤門ですよね。

私:家斉は40人もの側室を抱え、こどもは55人だ。溶姫は21女で、降嫁は12藩に渡る。

N:前田三代と「徳川の前田」。そのあまりの差に絶句です。

(5)徳川の前田 宮家との姻戚関係

私:しかし宮家との姻戚関係では、思いもかけないことがある。5代綱紀のひ孫になんと女帝がいるのだ。

N:え!

私:後桜町天皇で、綱紀は天皇の曽祖父になる。徳川綱吉から綱紀に上意があり、直姫(綱紀6女)が二条吉忠親王に輿入れとなる。

N:前田をNo.2と立てているように見えますが、綱紀は保科正之(家光異母弟)の娘が正室だからですよね。徳川の血を尊んでいるんですよ。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。