高校で男子とともに野球部に所属したとしても、高野連の規定のため女子選手は公式戦に出場することはかなわない。それを承知の上で、たとえ試合に出られなくとも、懸命に白球を追いかけ続ける女子選手もいる。

あるいは、「試合に出なければ上達しない」と考え、試合に出ることを望み、女子野球の世界に進もうと考える女子球児もいる。

しかし、前述したように女子硬式野球部を持つ高校は、全国にわずかに6校しかない。

地元にこれらの学校があれば話は早いが、多くの場合、親元を離れて寮暮らしを始めて、野球を続ける選手が多い。もちろん、経済的にも心理的にも家庭への負担は大きい。

──女子が野球を続けること。

そこには、これだけの困難な道が待っているのだ。今回、このクリニックに参加した花咲徳栄高校の5名のうち、寺部投手、内田捕手は親元を離れて高校生活を送っている。

しかし、香港の女子野球事情は日本よりもさらに困難なのだということを日本人選手たちは、今回目の当たりにすることになった。

「今回のクリニックを通じて、自分たちがいかに恵まれているのかを知りました」

これは、9名の日本人参加者全員から聞かれた言葉だった。

 

 

大差がついた練習試合の終了後には、私は香港チームに各ポジションについてもらい全選手に自らノックバットを振った。

通訳の三好さんからボールを受け取り最初にレフトに打球を放った。軽く外野手の頭上を越え、あまりにも飛ぶので香港のこの時期の湿度はとても乾燥しているのがわかった。

そして手加減をしながら第2打を放ったが、それからというもの外野ノック、内野ノックと何本続けても、香港の選手は誰一人として捕れる選手はいなかった。

誰もまともに捕球できず、送球することができないプレーが重なれば重なるほど、私は身体の内側から、

「よーし やってやろうじゃないか(勝てるチームにしようじゃないか)」

と、原爆の跡地から這い上がり、1勝もできず弱小のチームだった花咲徳栄高校や、創部したものの専用グラウンドはなく、選手は5名しかいない状況から始めた平成国際大学と完全にオーバーラップしていた。

その後、投手と打者に分かれての基本練習を指導した。

平成国際大学の野口、花咲徳栄高校の寺部両投手と内田捕手はブルペンで、ピッチャーとキャッチャー相手に指導を行った。

ここではボールの握り方から始まり、マウンドプレートの踏み方、グラブを持った手の使い方、キャッチャーの構え方、フットワークの使い方などが、通訳を交え、あるいはボディランゲージで香港選手たちに伝えられた。

香港の選手相手に身振り手振りを交えて説明を続けていた野口は笑う。

「普段、自分が無意識にやっていることを言葉で説明するのは難しいですね。でも、教えているうちに、自分でもここはこういう理由があるから、こういう動きをするんだなって、改めて気がつくことが何度もありました」

私はキャッチャーたちに問うた。

「キャッチャーにとって必要なものは何だと思う?」

香港の選手たちは、恥ずかしそうなそぶりを見せたものの、それぞれが、

「配球だと思います」

「ピッチャーとの信頼関係を築くことだと思います」

と答えた。

その一つ一つに、

「そうだね。それも大事だね」

と大きく頷きながら私は続けた。

「あとは、記憶力も大切だよね。相手バッターについて、これまでの対戦結果について。そして、その試合におけるそれまでの配球について……。こうしたことをきちんと意識することも大切だね」

私の言葉を一語も聞き漏らすまいと、真剣な面持ちで耳を傾けている香港バッテリー。

一方、ピッチャーとキャッチャー以外の選手たちは、前述の3人以外の日本人選手が中心となって、自宅で一人でもできるトレーニング講習を始めていた。

グラウンドに寝そべった状態から真上にボールを投げ上げることで、ボールをリリースする瞬間の微妙な感覚をつかむ「天井スロー」。

※本記事は、2017年2月刊行の書籍『女子硬式野球物語 サクラ咲ク1』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。