夫は結婚して一週間は早く定時で帰宅した。会社から帰宅したとは限らないが、社長とは同じ空気を吸えないだろうから、外出先からかもしれない。仲が悪いといろいろな面で本人も周りも大変である。

夫はストレスを感じると右側の顔面が引きつる。頬がヒクヒクと痙攣する。心的な被害を受けていることが分かる。父親がもう少しほんの少しで良いから、夫を承認する心があればとつくづく思っていた。

夫が子供の頃の話だが、夏休み家族で海や山へ遊びに行った思い出は一度もなかったそうである。遊びが大好きな子供にとってその時間が全くないと言うのは残酷な話だ。しかし、自分が父親に遊んでもらえなかったとしたら、自分の子供へはそう言う寂しい思いはさせないと思うのが人として正しいあり方ではないだろうか。

夫の受け身の生き方から、積極的に与える生き方にシフト変更できるものならそうしてやりたいと思うのは、私の勝手な考えなのだけれど。

人を変える事はできないから、自分を変えるしかない。だが、私はありのままの自分を承認する、これが現時点での考え方だ。

夫に妊娠を報告した後から、接待の飲み会の外出回数が増えた。会社を継ぐ立場の人間であるから当然のことと、私は仕事に関する接待については、しごく寛容である。次の仕事の案件に結びつく飲み会やゴルフコンペなどは、有効に利用すべきだ。社長の代もそうやってきたに違いない。

しかし、逆に無駄にお金を使うのは違う。それは仕事に反映されない飲み会だ。やはり、社長になる器は、自ら造らねばならぬ。父親が初代会社の基盤と信用を築き上げてくれたのだから、後は自分なりの経営理念を貫き真面目に努力していけば結果は自ずと付いて来るであろう。

楽をしていてはそれは一生難しい。もちろん、後継者となる夫のバックアップは全力でしたいと思っている。仕事に楽はない。厳しい歩みの先に、真の喜びと達成感は存在する。夫も経営者として成長して欲しいと願っている。

夫は週三回ペースで飲みに出かけて行った。最初は、「仕事の飲み会なら仕方ない」と大目に見ていた。私は特に細かい事は聞かずに余計な詮索はしなかった。しかし、さすがに毎週頻繁に、それも同じ相手となると否が応でも疑惑は生まれる。

会社は作業服にワイシャツ・ネクタイまたは、作業服・ポロシャツで出勤していたが、いざお出かけとなると、高価なジャケットとシャツとスラックスに身を整える人だった。よそいきの服によそいきの顔を着けて出かけて行く。

確かに見栄えの良い男だった。センスの良さは認める。まるで、若い蝶がヒラヒラと夜に咲く花を探し求めるかのように。そこには色の香りが漂っていた。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『プリン騒動』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。