第一章 三億円の田んぼ

勝木道男が到着したとき、烏丸酒造の事務室の電話には、逆探知装置の取り付けが終わっていた。いつ電話が着信しても、かけてきた先がわかる。ただ、プリペイドの携帯電話は別だ。発信エリアまでしか、特定できない。

烏丸酒造は、事件現場の田んぼから車で、十五分ほど。田んぼに囲まれた、静かな集落の一角。小山の懐に、抱かれるように佇んでいた。広々した敷地内に、酒蔵と屋敷に事務所が建っている。

勝木は、秀造が提供してくれた応接室を、仮の捜査本部と決めた。事務所の建屋、入ってすぐが事務室で、その奥にあたる。

木製のドアに、はめ込まれたステンドグラス。磨き込まれたウォールナットの床。白壁に貼られた腰壁板も同素材で、落ち着いた雰囲気を醸し出している。窓には板ガラスがはまり、微かな歪みのせいで光が不規則に屈折して見えた。広い部屋の中央には、大きな応接テーブルが置かれている。重厚感ある分厚い一枚板だ。そこここに、昭和初期のセピア色な雰囲気が漂っていた。

凛とした空気が張り詰め、部屋の中には塵埃一つ無い。
壁面高く、所狭しと、賞状が掲げられている。その数、数十枚。全国新酒鑑評会、金賞連続受賞の証だ。

歴史的に酒蔵は、その地方の名士だ。田んぼを持っていても、勝木の家のような、兼業農家とは違うのを、改めて思い知らされる。

仮捜査本部になった酒蔵の応接室に、捜査員が出入りする。そのたび、徐々に情報が集まってきた。
玲子たちが合流したところで、捜査会議を開始した。関係者が、ぐるりと応接テーブルを囲む。

背が高くひょろりとした鑑識官、岩堂孝が立ち上がった。白衣のまま、報告を始める。分厚いレンズのメガネに時折手をやっている。勝木は、理科の先生を思い出した。

最初は、田んぼの状況。稲を枯らした毒物は、農薬と思われる。成分は、分析中。用水路に面したあぜから、毒物を散布。あぜを掃いて、痕跡を消している。その後、用水路に入って逃走したと思われる。タミ子という老女将の言う通りだった。今のところ、どこで水路から上がったかは不明。

岩堂鑑識官は、メガネを直すと、脅迫状の分析結果に移った。

指紋は、発見されなかった。短い文面は、新聞の文章を切り離し、コピー紙に貼り付けて組んだもの。新聞は、兵庫新聞。だが、版は特定できていない。販売地域は、わからなかった。使われた用紙も、無地の一般的なコピー紙。大手の製品だが、販売店まではわかりそうにない。スティック糊も、同様。

「そっちは、どないや?」
勝木は、隣の捜査員たちに、目を移した。会社の経営状態などを、調べさせている。