さて、この辞書の解説に基づいても、人間の性が善であることが見て取れます。なぜなら、性悪説は人間の目指す先は悪ではなく究極的には善であることを肯定しているものにほかならないからです。

人間の性が悪ならば、そこから悪を回避し善へ向かう思想が生じることはありません。つまり、性悪説それ自体が性善説の正しいことを証明していることになります。性善が人類のDNAに種の保存が組み込まれていることに由来するものかどうかというような議論はさておいてのお話です。

なお、上記性悪説の解説にある「人間は欲望を持つためその本性は悪である」という命題は誤謬です。なぜなら欲望を人間から消去しますと人間ではなく死人間になるからです。つまり人間ではなくなります。欲望は人間を人間として生かしている至宝であるエネルギーの源泉そのものです。

性善説の重要な点は、試行錯誤を肯定している点にあります。然るに、我々人間界には試行錯誤が許されない事態が生じつつあります。というよりも既に生じています。

戦争が性悪を映したものであり平和が性善を映したものであるとしますと、放っておいても戦争を克服する力が働きやがて平和に復元することになる筈ですが、核戦争の場合はそのような思想は通用しません。

なぜなら、戦争という性悪に傾いている時に人類は絶滅してしまい、平和という性善に復元する機会が消滅することになるからです。

科学の発達を悪用していることが試行錯誤を許さなくしている一例になります。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『神からの自立』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。