謎多き天才が残した一枚の絵画をめぐる、
超大作アート・ミステリー。
写真家の宗像は、偶然訪れたロンドンの画廊で、一枚の肖像画に心を奪われる。絵画の名は、夭折した謎多き天才画家ピエトロ・フェラーラの「緋色を背景にする女の肖像」。フェラーラの足跡を追い求めてたどり着いたポルトガルの地で、宗像は美術界を揺るがす秘密に迫っていた。美術界と建築界に燻るスキャンダル。その深部と絵の謎が交錯していく。アートに翻弄された人々の光と影を描き出す、壮大なミステリードラマを連載でお届けします。
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そうか、これはフェラーラ一家の家族写真なのか? 右手に絵筆を持ち、イーゼルにセットされたキャンバスにその筆を乗せ、ポーズをとっている左端の大男がフェラーラなのか?
ナショナル・ギャラリーで見た四冊の資料には、フェラーラの顔写真は一枚もなかった。フェラーラは写真嫌いだったせいか、あのとき画集を見た折、画家の顔写真が一枚もないことを不思議に感じた記憶が蘇った。
わずかに二十八点の絵の中に、彼自身の自画像が一点、あるにはあった。しかし横向きだったためか記憶に残らなかったようだ。
しかしこの写真はフェラーラをほぼ正面から捉えている。かなり痩せた大男である。
細くて長い色白の顔の奥にキラリと光る二つの瑠璃色の瞳。横一文字に結んだ薄い唇。細くて高く筋の通った鼻梁。俯き加減の視線。いかにも繊細で神経質そうな顔。
なかなかの男前だが、画家というよりは、むしろインテリ風な顔付きである。例えば、それは技術者とか弁護士とか大学教授のように見えていた。
長袖の花柄のワンピースを着て、反対側に立つ若い女性は妻アンナか? やはり細身の体躯。
二十八点中二十六点を占めるフェラーラの絵に登場する絶世の美女。モデルはやはり奥さんのようである。瑞々しさを湛えた小さめの丸顔は小麦色だ。緑色の二つの瞳。
引き締まった情熱的な唇は、ブロンドの豊かな髪によって誇張され、際立った艶かしさを醸し出している。軽い緊張感を漂わせながらも、心の強さを感じさせるような、きりりとした面持ちの女性である。
だが、このことこそいったいどうしたことか? カウチ・ベンチに座り、笑いを振りまくユーラ、ユーレと記された同じ年頃の二人の女の子は、誰なのか?
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商