「でも山科教授がいわれたことは一理あります。わたしはなんの準備もせずにここに来てしまいました。せめて自分にできる最低限のことはしてくるべきでした」

「それはたしかに理屈ですが、そんなことは簡単にできることじゃありません」
「でもそれくらいのことができなければ、これからやろうとしていることは不可能です」

それは山科に指摘されて、沙也香が痛切に感じたことだった。また高槻教授のノートを見て、教授がどれほど真剣に研究に打ち込んでいたかを思い知らされたことによる感慨でもあった。たしかにいまのような姿勢では、山科がいうように、一生かかっても高槻教授の研究成果を突き止めることなどできないだろう。

沙也香は唇を引き締めると、改まった口調で磯部に聞いた。

「わたし、これから死にものぐるいで古代史の勉強をします。ですから、いま尋ねたことの答えを教えてください。第一次遣隋使のことが『日本書紀』に書かれていないって、どういうことなんですか」

磯部はふーっと大きく息を吐き、少し考えてから答えた。

「この問題は、いま山科教授がいわれたように、『日本書紀』も『隋書』も読んでいない人に説明するのはむずかしいことなんですよ。これは聖徳太子の謎の根幹に関わる問題ですから。そしてこの謎に対する明快な解答を出した人は、まだいません」

「えっ、まだ解答を出した人はいないってことは、まだわかっていないということですか」
それまでおろおろしながらなりゆきを見守っていたまゆみが、驚いたようにいった。

「そういうことです。聖徳太子の謎の中でも、最も大きな謎かもしれませんね」

「第一次遣隋使ということは、第二次遣隋使もあるということなんですか」
沙也香が考えながら聞いた。

「そうです。じつは聖徳太子の時代、第三次まで遣隋使が派遣されているんです」

「それ、くわしく教えていただけませんか」
沙也香が真剣な顔でいうと、磯部は小さく笑った。

 
※本記事は、2018年9月刊行の書籍『日出る国の天子』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。