鎧兜(よろいかぶと)は必需品

かつて、戦国時代の武将が戦で鎧を身に付け兜を頭に被り、命を懸けて戦った。

中今の世を生き抜くために私にはこれが必要だった。

家の玄関に入る時は、鎧兜を装着した。いつどんな時でも、敵から攻撃を受けても自分の身を守るため。たとえ、矢が飛んで来ても、背後から剣を振りかざされても殺(や)られてはならぬのだ。私が死んだら、幼い子供たちは生きられないだろう。母を失ってしまったら、深い悲しみに耐えられないだろう。

生きとし生ける動物の本能は素晴らしい。自分の命を投げ出してでも我が子を守る強い使命がある。

真理なのだ。一点の疑いもない。

また、玄関から外へ出る時や出てからは、身に付けていた鎧兜を脱いで身軽になり出勤したり、外出をした。毎日毎度、これは繰り返し行なった。最初は意識をしながらだったが、慣れてくると無意識にそうすることができた。私が、この家で二十年間やってこられたのは、自分なりの自己防衛を果たしてきたからだ。

誤解を招くといけないので、一言添えておくが、実際に鎧兜があったわけではない。本当に装着をしていたら重量があるため、逆に身動きできなくなってしまうだろう。

あくまでも、イメージである。心のバリア。

言葉は、相手を褒めれば喜ばれ、反対に相手を傷つければキズ口から血が流れる。受けたキズが深ければ深いほど跡が残る。言った方は無傷ゆえ、すぐに忘れる。受けた方は忘れたくても一生消えない。

言葉は人を生かすし、人を殺す力がある。

目には目を歯には歯を
生きるとは苦である

私は、手帳に毎年新しくこの二つの言葉を書き記してきた。自分に強さと正しさを、そして、どんな時も真実を見極める眼を開き、今日一日を精一杯生きると決めた。