母は体内に十月十日も子を宿すが、それに比べ父の関与はまことに刹那的(せつなてき)だ。即ち両者の間には機能的相違が多大であり、男女間に絶対的平等はないのである。

昔から女の売春婦はいても、男の売春夫はいなかった。これは単に男が女性を一方的に虐(しいた)げた歴史の結果だけではあるまい。

男には射精があり、それによって終結するから、一人の女が何人もの男を順番に相手することも容易にできる。即ち生産性を上げて職業化することもできるのである。

三こすり半の「発射、終了」はあっても、一方、瞬時で「モウダメ、コウサン」はないであろう。

かくして売春婦は成り立っても、売春夫は成り立たないと推測できる。

繰り返すが、男が女性を虐げて、売春婦を創り出したのではなく、男女の機能の差がこのような歴史を生み出したのではあるまいか。その証拠に時代が変わり、女性の地位が向上しても、自ら求めて売春をすることがある。援助交際とはまさに売春そのものと言えまいか。

亡き藤本義一の小説に、『女の顔は請求書』というのがある、女はいつも男に金を請求し、それに応えることが男の甲斐性とされて来たからである。

あらゆる動物の中で、雌側が金を取るのは人間だけである。それは人間の女性が男の欲望を知っており、言い代えれば男の足元を見て、自分のソレが金になると判断する能力があるからである。この判断能力こそ人間が他の動物と違う霊長類たる所以(ゆえん)の一つと言えるかもしれぬ。

人間以外の動物は全てオスが交配料を取る。因(ちな)みに競走馬ディープインパクトは一回四千万円だったそうで、サラブレッドは人工授精をしないから肉弾戦である。四千万円の中出しである。

種馬が発射後、一物を引き抜くと、余った精液がドドーと流れ出るそうで、すると牝馬の持ち主が、慌ててアソコに手を当てて塞ぐそうである。なんせ、四千万円の何割かが流れ落ちるからである。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『お色気釣随筆 色は匂えど釣りぬるを』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。