(05)利己的な本能を持つ。

動物は本能に従って生きています。本能とは生きるために又種の保存のために必要欠くべからざる生命の源泉そのものです。人類も動物に違いありませんから、本能に従って生きればいいのは当然のことです。これが原点です。

然るに、人類と他の動物(動物)の違いにより、動物が本能の最大を生きているのに対し、人類は本能の最大を生きることはできません。極大を生きることしかできないのです。

人類と動物の違いは、
①人類が知的生命体であることに対し、動物は非知的生命体であること、
②人類の営む社会すなわち人間界は動物界に比べて遥かに多様であること、
③は②を受けて、人間界には善悪や道徳すなわち善い行為と悪い行為という本能を制限・抑制する取り決めが生じていることにあります。

この本能の制限・抑制により、人類は本能の最大を生きることができなくなっていることは確かですが、本能を忘れたり放棄したわけではありません。人類が本能の最大を生きれば、人間界は争いの坩堝と化し、結局本能の欠片も達成できない始末になることは必定です。

このため、人類は全ての個が本能の一部を差し出しその分お互いが本能の行為を制限・抑制し、本能の最大に替えて、人間界という条件下における最大である極大を生きることを選択していることになります。

選択は選択として、本能の一部を差し出すことで、動物とは違い、人類の本能はその分損傷しているのも事実であると見る少し淋しい思いはあるかもしれません。しかし、本能の危急存亡の時に、常には潜在していた本能が表面に出てきて本能の核心を守る働きをした、という風な見方もできます。

すなわち、本能が本能的に本能を守った、ということです。しかし、それはそれ、そのような確証のない見方は差し置くとしても、人類はその生命の源泉たる本能を失ってしまったわけではないことは確かです。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『神からの自立』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。