謎多き天才が残した一枚の絵画をめぐる、
超大作アート・ミステリー。
写真家の宗像は、偶然訪れたロンドンの画廊で、一枚の肖像画に心を奪われる。絵画の名は、夭折した謎多き天才画家ピエトロ・フェラーラの「緋色を背景にする女の肖像」。フェラーラの足跡を追い求めてたどり着いたポルトガルの地で、宗像は美術界を揺るがす秘密に迫っていた。美術界と建築界に燻るスキャンダル。その深部と絵の謎が交錯していく。アートに翻弄された人々の光と影を描き出す、壮大なミステリードラマを連載でお届けします。
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バーテンダーに注文したドライ・マティーニ入りのグラスを携えて進むと、装飾的なデザインの銘版がその開口部の上枠に取り付けられている。《男爵のサロン》と書かれていたのだが、カジノに縁のある、爵位を持つ人物を記念するメモリアル・ルームのようである。
足を踏み入れると、そこは高い天井を持つ正方形の部屋だった。白い石膏塗りで仕上げられた天井の中央には、不釣合と思えるほど大きいクリスタル・ガラスのシャンデリアが吊り下げられている。無数の明るい煌めきに織り成された光模様が、まるで万華鏡のように真紅の床に投影されている。
先ほどの廊下に敷かれた赤い絨毯の表面に見えていた艶やかな模様は、このシャンデリアの反射光だったらしい。部屋はカジノの喧騒から離れ、アルコールなどを飲みながら休憩するためのサロンとして供されているようだった。
暖炉のある正面と右の壁側に、猫足のついたロココ・スタイルのカウチと小椅子が、それぞれ三組ずつ、小さい楕円形のテーブルを挟みながら置かれていた。沈み込むほど深い毛足の絨毯の上を右に回り込むように進み、反対の壁を振り向いた宗像の歩みが突然止まった。
一瞬、身体が凍りついたように、二つの目が正面の壁に釘付けになった。それは、あまりにも突然といえば突然な出会いだった。ロープ・スタンドで隔てられた正面の壁には、スポット・ライトに煌々と照らされて五十号ほどの油絵が飾られていたのである。
「この絵は……何と、ピエトロ・フェラーラではないか!」
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商