例えば、神や不滅の霊魂の存在は反証できませんが、非科学的命題であると断定することは出来ません。

なぜなら、それらは立派な科学的仮説であるが、今現在それを肯定・否定する情報・知識が不足しているにすぎないからであるという議論は成立する筈だからです。

すなわち、反証できないということを証明することは、今はできないが、いつかはできるということを否定することはできないということです。悩みは尽きません。(これは不可知論に関係していることですが、不可知論につきましては第3章の「まとめ」に記述してあります)

ところで、伝統哲学の時代には、哲学者は当時の先端を行く科学者でもあり、哲学と科学のどちらがより専門かわからないことが一般であったと言っても過言ではありませんでしたが、広く浅く(比較的に)であった科学は、現在では狭く深くなり、科学者は科学のみに専念することが一般になり、科学者が哲学者でもあることは稀となっています。

そして、宇宙物理学や量子力学そしてバイオテクノロジー等が発見していることは、哲学では夢に見ることさえできない世界です。すなわち、今まで哲学がその基盤としていた知識という哲学のための資材が科学により書き替えられている事態が生じています。

この傾向は未来に向かって益々進行して行きます。つまり、哲学はその基盤である知識資材を自ら用意することができなくなっています。これらの新しい知識資材の発見につきましては、これ以後は、特に、物理学や数学が前面に出ることになります。

このように、古代最大の哲学者と言われるアリストテレス以来、哲学の領分は諸科学によって置き換えられ狭められ続けています。このような事情を勘案すれば、哲学は科学との関係という視点から、その存在意義を再構築する必要があると考えられます。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『神からの自立』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。