私は慌てて吐き出し、口の中を何度も水で洗いました。口の中はひりひりしていました。猛毒で死ぬかもしれないと、二、三日は心配で眠れませんでしたが、父は「大丈夫。飲み込まなければ死にはせん」と言って平気な顔をしていました。

戦後はエンジンの燃料が不足していて、ガソリンや石油などが手に入りにくい時期でした。父は漁船のエンジンを、木炭を燃料とするエンジンに改良していました。

木炭を燃やしガスを発生させて、それをエンジンに送り込み燃焼させるのです。そうした木炭ガス発生装置を作って漁船に据え付けていました。

父の左人差し指の付け根にはコブがありました。私たちが子供のころは、「ここからもう一本指が生えてくるんだぞ」と言って驚かしたりしていましたが、それは作業中に何度もハンマーで叩いてできたものでした。指の短いごつごつした職人の手でした。

父は小学校しか出ていません。どこで技術を身につけたのか不思議でした。沖縄から出てきて、丁稚奉公のようにして、各地を転々としながら技術を学び、その技術を生かし、漁師たちの要望に応える仕事をすることによって、信頼を得ていったのだと思います。

※本記事は、2017年11月刊行の書籍『霧中の岐路でチャンスをつかめ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。