来週の水曜にまた会う約束をした。三度目のデート。そろそろセックスをしないわけにはいかないかもしれない。私も我慢の限界だった。

次の日、ショウ君からの連絡はなかった。やはり昨日の本命チョコレートが重たかったのだろうかとか不安が募ってゆく。昨日までの幸せな気持ちが嘘のようだった。

所詮恋愛は辛いのだと悟る。私は自分の気持ちに気づきつつあった。

好きな人に愛されなくてもいい。ただセックスができれば満足だとずっと思っていた。

しかし違った。私がしたかったのはセックスではなく、恋愛だ。私が欲しかったのは身体ではなく、愛だった。

あくまでセックスは恋愛の延長線上にあるもので、セックスだけして満足ということではなかったのだ。ショウ君と出会い、恋に落ちて初めてそれに気がついた。

しかし私はセックスだけできれば良いという女に成り下がっていた。卑猥な女を演じるあまり自分の価値を自分で下げていたのだ。その辺のティッシュペーパーやボールペンと同じ、私は消耗品だった。

しかし身体以外の魅力が私にあるとは思えなかった。だから好きな人を身体で釣るしかなかったのだ。それはすごく簡単だった。

例えば私がセックスの話をすれば、男達はたいてい食いついた。私はそれが心地良かった。さも自分がモテているような錯覚に陥っていたのだ。

気づけば私はバドミントンサークル『ジョイナス』でも自分の初体験の話や、ヴァギナがハイジニーナであることなどを得意げに話しては、男性達の反応を楽しんでいた。中学生の頃からまるで進歩がない。リーダーの私を避けるような態度も当然かもしれない。

ショウ君に対しても初めはそんな調子だった。しかし、本気で彼を想うようになってからは変わってしまった。

身体のことやセックスの話をされるたびに悲しくなった。あれだけ猥談が好きだったはずなのに、バター犬の話をされた時には作り笑いすらできなかった。

好きな人に女として見てもらえるのは、凄く光栄で喜ばしいことだ。しかし、人間としての私もしっかり見て、好きになってもらいたい。しかし人を惹きつける人間的な魅力なんて私にはない。

久しぶりに映画を観た。

流されて誰とでもセックスしてしまうのに、本当に好きな人とはセックスができないという女の話。セックスをしたら、それで関係が終わってしまうから。

好きな人とのセックスを大切にしたいのは私も同じだった。私は病み始めていた。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『不倫の何がいけないの?』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。