第一章 ほうりでわたる

五右衛門風呂の思い出

父の工場は停電すると機械が止まってしまうので(当時は頻繁に停電していました)、動力を発動機に切り替え、旋盤などの工作機械を回していました。

借りている工場の二階には家主が居住していましたので、発動機の騒音が激しいと迷惑になります。そんなこともあり、父は川のそばにあった石灰工場の土地の一部を借りて、新しく工場と家を建てることにしました。

棟続きの小さな自宅と工場です。屋根はルーフィング(紙にアスファルトを浸みこませた防水シート)だけで雨風をしのいでいました。雪の降る日や吹雪の夜は、屋根と壁の隙間から遠慮なく雪が降り込んできました。

梁や棟木がむき出しの天井を見上げて寝ていると、顔にふわっと冷たい雪が降りそそいできます。それが意外に気持ちのよい感じでした。

近くには造船所が三か所ほどありました。漁業が最盛期のころは造船所も忙しく、新しく造船する時は、父もエンジンの据え付けなどで引っ張りだこでした。

私も父と一緒に新造船の船おろし(進水式)に乗船し、エンジンの調整をしていました。大漁旗を掲げて走る新造船には、船主の漁師仲間たちも乗り、河口から上流へ、そしてまた沖まで出て、何度も船を往復させた後、港に着けます。

港に着けると、船主はじめ関係者を故意に川の中に放り投げるのです。酒も入っているので大賑わいのお祝いとなります。私も何度か川に放り出されたことがありました。

造船所の棟梁のお宅が我が家の近くにあり、お風呂に呼ばれることもありました。造船所ですから、薪にする焚き物はたくさんあります。当時自宅にお風呂がある家は少なかったので、銭湯にたまに行く程度で、日ごろは近所のお風呂に呼ばれていました。