人種差別撤廃は、スタートラインに過ぎない――。
黒人の地位向上に腐心する2000年代の南アフリカ。人材の多様化と成長への隘路に挑む、ある商社員の物語。総合商社に勤める高倉は、子会社であるマキシマ社の再建を担い、社長として南アフリカに赴任する。人種隔離政策(アパルトヘイト)廃止から十年。そこで目の当たりにしたのは、格差と人種差別のない理想の社会の実現には程遠い現実。業績回復途上の会社に突きつけられる政府からの命題。それは、私企業に黒人の資本参加や管理職登用などを事実上義務付けるものであった。
2019年ラグビーW杯優勝国・南アフリカの葛藤から世界のリアルを描く、社会派ビジネス小説を連載にてお届けします。
五
三時に目が覚めた高倉は、ダイニングルームに行き、楕円形の大きなテーブルの上に書類を広げた。キーとなる数字をもう一度しっかりと頭に入れる。売上げ、粗利、経費、在庫、売掛金等々、問題がある数字だらけだが、これを一つ一つ改善していかなければならない。
そのための策を練り直すことの繰り返しだ。
策を練る時は入社してから今日まで経験した様々なケースと、それをどうやって解決したか、を回顧することにしている。
上司に指示されたことよりも、先輩のやり方を見様見真似で覚えたことの方が、役に立つのが多い気がする。もちろん、過去と現在の延長線上に、常に未来がある訳ではないことは充分理解して対策を立てるように心がけている。
複数の問題というか課題を同時並行的に解決しなければならないときには、課題の重軽度を縦軸、解決の難易度を横軸に置いたグラフに各々をポジショニングしている。
今回のマキシマ社のケースでも、そのグラフが常にテーブルの上にあり、そこには高倉なりにポジショニングした十九の課題が散らばっている。
その中には、重要度が高い、つまり経営へのインパクトが大きく、解決が比較的容易な課題については、もう既に手を打ったものもいくつかある。
彼がそのグラフをじっと見つめていたときに、洋子が起きてきてコーヒーを入れてくれた。
これも毎度のことだ。
「起きてこなくていい」
「実はお願いがあるのよ」
珍しいことを言いながら、洋子は対面に座った。
「なんだ」
妻からお願いがあるということは何年も聞いていないので、身構えた。
「南アフリカというかアフリカのスイスと言われている所があるらしいの。ドラケンスバーグというんだけど、そこに行きたいの」
「あらたまって言うから何かと思っていたらそんなことか。おれが今それどころじゃないことはわかっているだろう。寝ろ」
洋子は肩を落してベッドルームに戻っていった。
そうか、わかった、もう少し余裕が出来たら行こう、とでもどうして言えないのか、と思うが言えない。
【主な登場人物】
高倉譲二 マキシマ株式会社社長 七洋商事より派遣
アンネマリー 同社社長秘書
アンドルー・レクレア 同社カンパニー・セクレタリーのちに社長室長
ピート・ダン 同社倉庫係のちにケープタウン店長補佐
秋山峰雄 同社社長室長 七洋商事より派遣のちに経理財務ダイレクター
斉藤和夫 同社技術ダイレクター ニホンタイヤより派遣
シェーン・ネッスル 同社周辺国担当マネージャー
ケニー・ブライアント 同社前社長
ロッド・モーロー 同社管理担当取締役
トニー・コッペル 同社経理マネージャー ジンバブエ撤退担当
バート・グッドマン 同社販売担当副社長
ピーター・マステン 同社株主ポート・エリザベス在住
ザリレイ・マゲス 同社新株主代表 マゲス・エンジニアリング社社長
ジャンポール・ゲタン 同社ケープタウン店長
ポロ・マルハン ブラック・グリップ社(BG社)社長
ピーター・コナー ブリット銀行CEO
クバネ氏 ジンバブエ元外交官 現ANCメンバー
佐々木氏 TM銀行駐在員事務所所長
山川取締役 七洋商事東京本店
亀川常務執行役員 七洋商事東京本店
鈴本専務執行役員 七洋商事東京本店
風間部長 七洋商事物資本部
高倉洋子 譲二の妻
【前書き】
本作品内に差別的な発言や表現がありますが、二〇〇〇年代の南アフリカを舞台にした作品のテーマを損なわないようにしたものであり、差別意識を助長させようとするものではありません。