16 年の瀬

街中がきらびやかなイルミネーションに彩られ、クリスマス・ソングが響きわたる。早いもので、今年ももう十二月。師が走るとはよく言ったもので、追い立てられ、急き立てられて、目が回るほど「いそがしや! いそがしや!」である。

冬至にはかぼちゃをいただいて、柚子湯に入り、年の瀬にはクリスマスを楽しみ、松飾りの準備。宅の能舞台の大掃除をして、新しい年の幸を祈願しつつ、舞台四方にしめ縄を張る。何かとまぁ、せわしいことだ! そして、除夜の鐘を聞きながら年越し蕎麦。夜が明けたら「謡い初め」。

日本人は、文化でも技術でも入ってきたものを巧みに取り入れ、工夫して、新しいものを作る才能に長けている。宗教においても然りである。山や森や巨木などに神々がおわす。そのご光臨あらせられたところに、ありがたくも新たな仏様が来迎された。

しかし、だからといって前からおられた神様は御用済み、全部こっちの仏様に変わります、ということにはならない。キリスト教の伝来も然り。神様も仏様もキリスト様も、みんな諍(いさか)いなく日本列島におわしますようだ。

能が題材を求めた『日本書紀』や『万葉集』を見ても、その才がうかがえる。文字を持たなかった日本に中国から漢字が伝わると、万葉仮名という独特の字体を編み出し、それまで使っていた言葉を漢字で表す仕組みをこしらえた。「仮名」とは、その意味の通り「仮の名」。漢字はそれに対する言葉として「真名(まな)」と呼んだのである。

特筆すべきは『古今和歌集』の紀貫之。これは、ひとつの歌が真名と仮名の両方で書かれている。貫之は「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」で有名な『土佐日記』を書いた。当時の日記というものは「男」が漢文で書くものだった。それを「女」が「仮名」で日記を書くという、すごい芸当をやってのけた。

おかげで仮名が平安朝の宮中の女房たちの間に広まる。かくして清少納言の『枕草子』や紫式部の『源氏物語』などが生まれたのであった。

もういくつ寝るとお正月。

お正月には「おとそ」をいただいて、心を落ち着け、日本の古き良き伝統を見つめなおしてみるのも意義あることではなかろうか。

※本記事は、2018年11月刊行の書籍『世を観よ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。