「ロッド、社有車と机のキーをここにおけ。そして個人の所有物だけをまとめて、今すぐに会社を去れ」

ついに社長としての強権を発動した。すると、

「ちょ、ちょっと待ってくれ。私はこれまで家庭をかえりみずマキシマ社に全力で貢献して来た。そのために離婚も二回している。それにかかわる養育費やその他でかなりの出費がある。いま職を失ったら大変なことになる。解雇だけはかんべんしてくれ」

と、突然泣きを入れた。
ここで情に流されるようでは社長は務まらない。

「アンネマリー、タクシーを一台ロッドのために呼んでくれ」
と指示した。

ロッドは背中を丸めて会社を去った。

高倉は直ちに臨時役員会を招集し、二〇〇四年三月期のマドールタイヤ不良債権の損失処理と、ロッド・モーローの解任を決議した。

思えばこれが『トカゲの頭切り』の第一章であり、その後アンドルーを除く、当時の取締役や会社幹部七人の首を切るという荒療治のプロローグになったのである。

アパルトヘイトは廃止されたが、それは表面的なものだ。
日本人も含めた白人以外の人種に対する白人の差別意識は根強いものがあり、これは南アフリカだけではなく、全世界にわたる。

白人の心の深層に潜んでいる差別意識は取り除くことは出来ない。それはコンプレックスの裏返しかも知れない。制度とか法の問題ではない。

高倉は前途の多難さを認識し、あらためて気を引き締めた。

その夜、帰宅後彼はいつものように南アフリカの赤ワインをロックフォールチーズをつまみながら飲んだ。

好みの赤ワインはウエスタン・ケープ地方のステレンボッシュ産のカベルネ・ソービニオン種で『クラインザルゼ』というブランドだが、別にこだわりはない。要は何でもいい。

妻の洋子も一応付き合うが、グラス一杯がリミットのようだ。

ロッド・モーローの解雇は、まだ闘いの始まりでしかない。
このあと、次々と大物の首を切って行かなければならない。
どうやってやるか? 考えていると夕食をとったかどうかも記憶がなくなる。

十二時頃に寝て、起きるつもりはなくても三時には目が覚めてしまう。
常に目覚まし時計に二回起こされるのが習性だった。それが定年間近になって、こんなに変化してしまうとは。

そっとベッドルームを抜け出す。このベッドルームには、会社の社長室のものと同じパニックボタンがある。賊が来たときにはこのベッドルームに逃げ込み、ドアをロックして、このボタンを押すように警備会社から指導を受けている。

過去七か国で駐在生活をおくってきたが、こんな備えをしなければならない状況は初めてである。