(ノート)

ところで、先天と後天については、単にそれを争うのみではなく、多くの哲学者が先天あるいは後天を前提に採用した哲学説を構築しています。

例えば、イマニュエル・カント(ドイツの哲学者、18~19世紀)の「実践理性批判」は、「神に基礎づけられている最高善の道徳法則は普遍であり先天的に万人に備わっている」という前提を採用しています。

この哲学説が成立するとすれば、アダムとイブが備えていたものと全く同じ道徳法則が現在存在している全人類の全ての個に先天的に備わっていなければならないことを意味します。(ここでは、二人しかいない世界にあって、道徳法則なるものにどのような意味があるのか、の議論はさておきます)

然るに、上述のように、先天的に備わるものは永遠に不変なのか又は世代を経れば変わり行くものかについては、はっきりしていません。つまり、当哲学説の先天の部分は仮説にすぎません。

とは言え、哲学説とは仮説の山から構築されているものが大方ですから、仮説を採用していることについては非難するようなことでもなく、又、仮説を否定できないとすれば、当哲学説も先天に絡めて否定することは出来ません。

然るに、カントのこの哲学説は他の仮説に決定的な難点があります。

それは、神に基礎づけられた最高善も道徳法則も存在しないということです。そもそも、道徳法則については、人間界のみにおいてさえも普遍でも不変でもありません。それは移ろい行くものです。

従って、カントの「実践理性批判」は先天か後天かの議論から今現在否定することはできませんが、普遍たる道徳法則なるものは存在しないという別の理由からは否定され破綻することになります。このことは、本章「重要事項16および17」に記述してあります。又、第3章の道徳論的(神の存在)証明に対する反論にも詳細です。

なお、遺伝子・DNAの研究が進み、数多の種類を持つDNAというものはそのスイッチが「入り」になったり「切り」になったりして切り替わっているということですから、ある世代の経験は全く次世代には伝わらないということではなく、何らかの形で伝わることがわかって来ています。

そうしますと、先天は固定されているものではなく変遷するということになります。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『神からの自立』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。