人種差別撤廃は、スタートラインに過ぎない――。
黒人の地位向上に腐心する2000年代の南アフリカ。人材の多様化と成長への隘路に挑む、ある商社員の物語。総合商社に勤める高倉は、子会社であるマキシマ社の再建を担い、社長として南アフリカに赴任する。人種隔離政策(アパルトヘイト)廃止から十年。そこで目の当たりにしたのは、格差と人種差別のない理想の社会の実現には程遠い現実。業績回復途上の会社に突きつけられる政府からの命題。それは、私企業に黒人の資本参加や管理職登用などを事実上義務付けるものであった。
2019年ラグビーW杯優勝国・南アフリカの葛藤から世界のリアルを描く、社会派ビジネス小説を連載にてお届けします。
「なかなか親切な人だね」
高倉は秋山に呟いた。
工場は静まりかえっている。ゴムやコードなどのタイヤ製造に重要な材料が機械から露出しており、半製品は床に転がったままだ。ある時に突然稼働を停めた感がありありである。
秋山があきれた表情で言った。
「我々とお付き合いのあるニホンタイヤさんの工場なら、きちっと整理整頓して、機械を磨いて油をさして稼働を停めるのでしょう。そういう感覚は全くないんですね」
「我々は専門家じゃないからはっきりとは言えないが、これでは生産を再開するにしても容易じゃないだろうなあ。機械は錆びついてしまうんじゃないか。ブリット銀行がこんな会社に投資するとは思えないが……」
と高倉は考え込みながら、製品倉庫も見たいと言ってみると、
「うーん、在庫品にはタッチしてはならないといわれていますが、見るだけならいいでしょう」
と、総務課長は製品倉庫へ案内してくれた。
ざっと見た所、乗用車用タイヤが約一万本強、トラック用タイヤが五百本ほどあった。ぜんぶ新品である。
高倉は在庫品を見ながら、小声の日本語で秋山に言った。
「このタイヤは売掛金の代りに何とか引き取り、売りさばいて少しでも損を取り返さなければならないな」
マネージャーにお礼を言って工場を出て、彼らは工場の外まわりを一周してみた。雑草が生い茂り、これもまた手を入れた様子は全くなかった。
その夜、三人はマプート市内のホテルに泊まり、海岸のシーフード・レストランで夕食をとった。
ポルトガル領だった名残りと、インド洋に面しているということで魚介類の種類は豊富だし料理の質は高い。オリーブ油ベースで味付けした焼き魚、煮魚は日本人にも好まれるように思えた。
しかし高倉と秋山にはそれをゆっくり味わっている余裕はない。食事をとりながら高倉はシェーン・ネッスルに指示した。
「ブリット銀行がこんな会社に投資するとは思えないので、いずれ倒産するだろう。そうすると管財人が入る。そうしたら手出しができなくなるので、その前にマドールタイヤにある在庫製品を全て引き取れるように準備しておいてくれ。頼むぞ」
※本記事は、2020年9月刊行の書籍『アパルトヘイトの残滓』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【主な登場人物】
高倉譲二 マキシマ株式会社社長 七洋商事より派遣
アンネマリー 同社社長秘書
アンドルー・レクレア 同社カンパニー・セクレタリーのちに社長室長
ピート・ダン 同社倉庫係のちにケープタウン店長補佐
秋山峰雄 同社社長室長 七洋商事より派遣のちに経理財務ダイレクター
斉藤和夫 同社技術ダイレクター ニホンタイヤより派遣
シェーン・ネッスル 同社周辺国担当マネージャー
ケニー・ブライアント 同社前社長
ロッド・モーロー 同社管理担当取締役
トニー・コッペル 同社経理マネージャー ジンバブエ撤退担当
バート・グッドマン 同社販売担当副社長
ピーター・マステン 同社株主ポート・エリザベス在住
ザリレイ・マゲス 同社新株主代表 マゲス・エンジニアリング社社長
ジャンポール・ゲタン 同社ケープタウン店長
ポロ・マルハン ブラック・グリップ社(BG社)社長
ピーター・コナー ブリット銀行CEO
クバネ氏 ジンバブエ元外交官 現ANCメンバー
佐々木氏 TM銀行駐在員事務所所長
山川取締役 七洋商事東京本店
亀川常務執行役員 七洋商事東京本店
鈴本専務執行役員 七洋商事東京本店
風間部長 七洋商事物資本部
高倉洋子 譲二の妻
【前書き】
本作品内に差別的な発言や表現がありますが、二〇〇〇年代の南アフリカを舞台にした作品のテーマを損なわないようにしたものであり、差別意識を助長させようとするものではありません。