すると「親子ローン」という方法を教えてくれました。「元は取れませんよ」と言われましたが、今は少しでも安い家賃で入居後のいろいろな物入りを少なくすることが、当面の最重要課題でした。

長男に早速話をし、返済は私がするから一切面倒かけないことを約束して、名前だけ貸してもらうことで、了解してくれました。三十五年の長いものですが手続きできて、まるで綱渡りのよう、何という幸運だったのでしょう。

この時も、母である私を支えてくれる長男に「済まない」という気持ちでいっぱいになるのでした。無事三月中旬に入居できたのです。

約一カ月、あちこちホテル等に泊まり歩き(F所属長が私的にお金を貸してくれました)、転々としていた私にとっては、何もなくても「自分のお城」でした。年度末で忙しく休みも取れません。

ベッドがあっても布団はないのですから、日曜日までの間、エアコンの暖房を強にしてコートをまとって寝ました。でも、安心して休めることは、本当にありがたいことなのだと痛感するのでした。

最近、ネットカフェやビデオ個室などで夜を過ごす人たちが多いと聞きます。住む家があることがどんなに心休まるのかを、私は自らが体験していますので、休めるところがないということは辛いことだと実感できます。

日曜日に布団と電気釜と湯沸かしポットと鍋、茶碗など一組ずつ揃え、洗濯機等最低限必要なものを調え、新生活を始めました。支えてくださった多くの方々にお知恵をいただき、またご指導や助言をいただきながら、仲間と共感しながらの回復への出立でした。

職場のF所属長と次長には大変お世話になりました。身一つで出た私でしたから、職場で仕事するために必要だろうと、同僚からもスーツなどをいただきました。助かりました。また、黙って励ましてくれた部下のみなさまにも感謝しています。

平成八年は、本当に数々のことが続きましたが、私にとって真の意味での「自分」の誕生の年かもしれません。私の私としての出立でした。

「火事場の馬鹿力」という言葉があります。それに似て、どこにそんなにエネルギーがあったのだろうかと思えるくらいに動き、ひたすら前に進めたのでした。自分を取り戻すために、子供たちを守るために、彼を死に至らしめないために……。