2007年

革命記念日に花火見物

七月十四日はフランスの革命記念日だ。この日を祝うのを日本ではパリ祭とも呼んでいるが、これは映画の『巴里祭』原題は『七月十四日』からきている日本だけの呼び名のようで、フランスでは「パリ祭」という言葉はないそうである。七月十四日は祝日でパリの凱旋門からパレードが行われるのを始め、その夜にはフランス各地で花火が打ち上げられる。

昨年、レンヌ市内のアパートにいた私は夜の十一時頃突然花火の音がしてびっくり、ベランダから外を見ると、花火が上がるのが見え、街頭からは人々のざわめきが聞こえてきたのだった。何せこの時期、夏至は過ぎたとはいえ日没が十時頃なのでそのくらいの時間でないと明るくて花火が見えないのだろう。

今年の革命記念日は日本から来た友人達とパリにいた。夕食後、友人達と別れたあと、私一人で花火見物をしようとそのホテルからタクシーでエッフェル塔に向かった。花火はエッフェル塔の近くのセーヌ川で打ち上げられると聞いていたので、「よし、シャイヨー宮の前が絶好の花火見物のポイントだ。そこで見てやろう」と思ったのだった。

まだ夜九時半だったので十時半開始の花火には充分間に合うと思った。セーヌ川沿いを走るタクシーの中からは橋の上で花火を見るべく陣取っている人、エッフェル塔方向に歩いている人など大勢が繰り出しているのが見える。

いつもより道路は混んでいたが、運転手は音楽を聴きながら上機嫌。「これ最高だろ?」というので見ると、フロントウインドーに何やら液晶テレビのようなものが下がっていてロック歌手のコンサートの模様が映し出されている。

「うん、いいね」と言うと音量を上げてリズムをとりながら運転。私もオレンジ色に染まった雲を見ながら花火楽しみだなとワクワクしていた。

タクシーはコンコルド広場からシャンゼリゼー通りへ。ここで渋滞につかまってしまった。おっとそれではこっちからだと運転手は右の路地へ曲がり込み凱旋門へ。

ところが凱旋門の外周ロータリーへ入ったとたん前後左右車で取り囲まれてしまった。のろのろとしか動かない。前にも書いたように、凱旋門の外周道路は侵入してくる車が優先である。

右側から侵入して来る車が途切れるまでロータリーの中で待たなくてはならない。この日は途切れることなく車が突っ込んでくるので中で止まった車が動けないのだ。あちこちからクラクションの音が聞こえ、少しでも空いた隙があると強引に前に進もうとする車でひしめきあっている。

わがタクシー運転手も右に隙間を見つければすぐさま割り込み、今度は左だとハンドルを左に切り、とても不可能としか思えないような狭い空間に無理やり車を押し込んで、すこしずつ前進、前進、また前進。さしもの練達のタクシー運転手もクラクションを鳴らし、大声で何やらわめきながら必死のハンドル操作。ようやく脱出できたのであった。ふぅ〜!

脱出したはいいがエッフェル塔へは行けるのか。時間ははや十時を回っている。そこから先も渋滞、また渋滞。懸命に空いた道を探して何とかたどり着こうとしたが「きょうは道が封鎖されていて無理だ」 運転手はとうとうギブアップ。

「じゃあ近くのメトロの駅で降ろして」とタクシーから降りたはいいが、トロカデロ駅までどうやって行ったらいいんだ? 地下鉄のルートを確認、ホームに着くと普段の地下鉄では考えられない人の多さ。なかなか電車がやって来ない。ようやく来た電車も大混雑。それでもなんとか乗り込み、途中乗り換え、ようやくシャイヨー宮に近いトロカデロ駅に着いた。

時刻は十一時を過ぎていた。ああなんてこった。外へ出てみると人またひと。それをかき分けるようにして目指すはシャイヨー宮、のはず。ところがシャイヨー宮の前には臨時の柵が張りめぐらされていて中に入ることができないのだった。

ええ?! ここまでしか行けないの? じゃあ花火見えないよ。

ライトアップされたエッフェル塔は正面に見える。だが音はすれども肝心の花火が建物に隠れて見えないのである。何とか花火が見える場所はないものかとあっちこっちうろうろ。でもダメ、せっかくここまで苦労してきたのに、結局あきらめることに。

思い描いた、“セーヌ川とエッフェル塔の背景の空に散る見事な花火にタマヤー!と叫ぶ”私のイメージは露と消えたのであった。

あとでわかったのだが、私がこうしてうろうろしている頃、エッフェル塔をはさんだ向こう側の公園からタマヤー!と叫ぶことが出来た会社の人がいたのであった。マーシャルという機械加工工場の部長である。月曜日に昼食のため食堂に並んでいると後ろから声を掛けてきて「革命記念日はパリにいたんだけど大変だった」と言う。

「ええ? あなたもパリにいたの?」と私。「花火の前に、エッフェル塔から陸軍士官学校へ続く公園でコンサートが開かれて、それを聴いたあと、その公園の芝生に腰をおろして花火を見たんだ」

「誰のコンサート?」

「ミッシェル・ポルナレフなどが出たよ」

(ミッシェル・ポルナレフかあ、懐かしいなあ。私達が若かりし頃日本でも『シェリーに口づけ』が流行った)

「私はセーヌ川の反対側で大変だった。花火など見えなかったよ」

「こっちはエッフェル塔の真近に花火が開いて最高だった」

「う〜ん、いいなあ。うらやましいなあ」

私がそう言うと、でも、と彼はつづけた。「花火が終わったのが深夜一時半、そこから地下鉄で帰ろうと思ったのだけれど満員で乗れず、何度も電車を見送るはめになった。それではバスでと思ったものの、これまた来るバス来るバスが満員で乗れず結局、家に着いたのが朝の五時半だった」

彼の自宅はパリ市街から十五キロほど離れたところにあるそうだ。普段彼は単身赴任でレンヌに住んでいる。

いやはやご苦労さん。でも花火が見られただけいいではないか。私は音だけだったのだから。

※本記事は、2018年10月刊行の書籍『ブルターニュ残照』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。