手術は手をきれいに洗うことから始まる。専用の洗剤で手を洗って、水分を拭き取り、アルコール消毒をする。手術において、殺菌されていない人間の手や部屋の壁、手術着など、あらゆるものを不潔と考える。殺菌された清潔なガウンを、おもて面に触らないように気をつけながら清潔に受け取る。どこにもぶつからないように腕を通す。背中側にある紐を看護師さんに結んでもらう。これでお腹側は誰の手にも触れていない清潔な状態を保てる。

清潔さだけでなく、手術には美しさも求められる。血が滲まない美しい術野(じゅつや)、無駄のない運針(うんしん)、正確な糸捌(さば)き、美しい姿勢。

「ここをこうすれば、術野がよく見えるんだよ」
「この指を使えば動作の無駄が少なくなる」
「先にこっちから切れば、次の操作がきれいにできる」

いかに無駄をなくしてきれいに手術することができるか。

執刀医は常にこれをテーマに手術に臨んでいる。助手はそのために手や器具を使って術野が執刀医に見えやすいように展開したり執刀医の相談相手となったりする。

石山病院の外科でも同じように教わったが、実は初めはこの考え方にすごく抵抗があった。外科医は手術がメインの仕事であり、医師同士で技を競うようなところがある。それに対して僕は、医療は芸術ではないと反発する気持ちを持っていた。

しかし、石山病院で研修するうちに、芸術性の追求が手術を早く正確なものにし、それが手術時間の短縮、ひいては患者さんの体への負担を軽減する結果に繋がることを知った。外科に限らず医療には答えがないことも多く、当初は現場と自分の考えの違いに途方にくれたこともあったけど、逆にその芸術性の追求が、外科医としての成長へと導く一筋の光になった。

「山川君は、普段から日記をつける習慣ある?」
「いえ」

手術が終わったあと、西田先生に質問され、僕は首を横に振った。

「つけたほうが良いよ。僕は40歳くらいまで毎日つけていたよ」
「分かりました」

(みんなそうやって努力しているんだ)

そう思った僕は、この日から毎日ノートをとることにした。

※本記事は、2020年7月刊行の書籍『孤独な子ドクター』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。