澄世は会場をずっと案内してくれた。

「これが景色いけと言って、嵯峨御流にしかない花態なの。深山の景、森林の景、野辺の景、池水の景、沼沢の景、河川の景、海浜の景と七景つながってるでしょ? 深山からずーっと海へと水が流れて、また雨や霧になって深山に水が出来、また流れていく……こうした水の流れを映しとって、水の流れの連続性を表現しているの。水は命の源だから、この水の流れの繰り返しの中に命の循環があって、嵯峨御流はいけばなを通して、水の大切さ、命の大切さ、そして自然の環境保全を訴えているのよ」と熱っぽく語った。

とても盛大な華展で、人も大勢来て盛況で、澄世は色んな人から声をかけられ忙しそうだったので、和彦は一通り観て帰って行った。

四月八日(日)、昼下がり、この春は変な気候で、桜が早くに咲いてしまい、あっと言う間に散ってしまっていた。

和彦が人に誘われ会員になった堂島の中央電気倶楽部の喫茶室で二人は会った。煉瓦作りのレトロな建物が、澄世の雰囲気に合うと思って選んだ場所だった。和彦は、絵里との結婚に実感がわかなかった。それより、仕事の悩みや色んな事を話せる澄世が、一緒に居て心が安らぐ特別な存在になっていた。

「年下で頼りなく思うだろうけど、僕は貴女と真剣に交際がしたいです」
「……」
「僕のこと、どう思ってますか?」

澄世は硬く沈黙した。しばらくうつむいていた澄世は、意を決したように顔を上げ、意外な告白をした。

「私ね、乳癌と子宮癌を切ってね……子供が産めないの」

和彦はびっくりした。澄世からは、そんな過去があったような影は微塵も感じられなかったからだ。しばらく考えて、和彦が言った。

「子供なんて、別にいいじゃないですか。それより、僕は貴女のことが好きです」

「ありがとう。お気持ちだけで充分うれしいわ。でもね、私、貴方が思ってるより、ずっとおばさんなのよ。恥ずかしくて黙ってたけれど、私、五十一なの」

和彦はまた驚いた。え? ……アラフィフ? 信じられなかった。

「貴方は将来のある方だから、彼女と結婚してちょうだい」
「……」
「もう会わないわ……。この一年、夢を見させてくれてありがとう。幸せだったわ」

そう言って、澄世はバッグから携帯を取り出し、和彦の目の前で、和彦の電話とメールの着信拒否設定をし、次に電話帳画面から、和彦のところを削除した。和彦は頭の中が真っ白になった。

「貴方は、私にとって、神様からのプレゼントだったの。初めて会った時から、そう思ってたわ」

澄世が立ち上がった。和彦もつられて立ち上がった。澄世は微笑んで右手を出した。和彦はその手に応えた。

「ありがとう……。今日はお花祭りね。きっといいことがあるわ」

握手を離して、澄世は立ち去って行った。

電気倶楽部を出て、西梅田の地下道への階段を下りはじめた時、澄世はとうとうむせび泣いた。階段を上ってすれ違って行く人が、怪訝そうに見て、通り過ぎて行った。

※本記事は、2018年9月刊行の書籍『薔薇のノクターン』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。