「でも、依頼されようとした内容がなにもわからないのでは……」
「一つだけは、わかっています」

「一つだけ、ですか。それはどういったことでしょう」

「主人は、こちらにおうかがいする目的だけは話してくれました。いまの壁を壊すのは、外部から壊してもらうしかない、と主人はいっていました。そのために、こちらに来ようとしていたのです」

「壁を外部から壊す? それはどういう意味ですか」

「主人がどんなにいい論文を書いても、けっして受け容れられません。だから外部の人にその研究成果を別の形で書いてもらって世論を興おこすしかない、といっておりました」

「世論を興す……」

「具体的にいえば、あなたのような作家の方に、主人が到達した研究結果を小説にして発表してもらおうということだと思います」

「つまり歴史小説にして、ということですね。でもそれを依頼する相手として、なぜわたしに白羽の矢が立ったのでしょう」

「一つは、あなたが推理作家だから、ということだと思います。主人は、歴史、特に古代史の謎の解明は、推理小説の謎を解くようなものだ、とよくいっておりました」

「ああ、それはよくわかります。残された証拠物件から事実を究明するには、推理するしかありませんものね」

沙也香は大きくうなずいた。大御所といわれた大物推理作家は、その多くが晩年を古代史の解明に費やしている。頭の中で創作した空虚なトリックをひねくりまわすより、現実に残された謎を解くことのほうに大きな魅力を感じたのだろうか。

「それと、あなたが純粋な人柄で、強い正義感の持ち主だから、ともいっておりました」
「えっ、わたし、まだ一度も先生にお目にかかったことがありませんのに……」

「わたしもそう思いました」夫人はにっこりと笑った。「でも主人は、書いたものを読んでみれば、その人の人間性はわかるものだよ、といっていました」

「ああ、そういうことですか」

それについては、沙也香は強い確信を持っている。文章には、書いた人の心や人柄など、すべてが凝縮されて詰まっているのだ。

 
※本記事は、2018年9月刊行の書籍『日出る国の天子』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。