私:よく金沢には南蛮寺が2箇所にありうんぬんと語られるが、そういうレベルの話は、南蛮寺が特別で特殊なもの、つまり南蛮寺を「蔑視」している。そこに留まっている限り、加賀藩、前田三代はわからない。

N:えらく大きく出ましたね。

私:外国人宣教師が寺で布教していた。

N:え!

私:だからありとあらゆる寺が南蛮寺なのだ。日本の信仰スタイルの特徴は仏教公伝でも明らかなように「トップ」がまず信仰する。そしてそれが下へ下へと降りてくる。キリスト教でも同じ。藩主から家老、家臣と降りてきて、ついに町人、農民に達する。そして農民は南蛮寺でキリスト教を信仰する。それを南蛮寺キリシタンという。

N:ちょっと信じられませんが……。

私:金沢は茶室が多い。宣教師は茶室でミサを捧げた。その茶室は前田家の茶室であり、豪商の茶室であり、南蛮寺の茶室であった。

N:時代の風ですかね。

私:まさしくそう。江戸時代では草履取りが天下人にはなれない。時代の風とはそういうもので、その一瞬に吹く風のことで、加賀藩には、この時期、南蛮の風が吹いていたのだ。ここらでトイレタイムとしよう、作蔵君。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。