私が十歳の冬だった。母は私をこっそり呼び、ずっと欲しかった縫いぐるみのクマのプーさんをくれた。私はうれしくて母に抱きついた。その途端、母が泣きだした。そして、私を離し、私の両腕をグッと強く持って言った。

「登世子ちゃん。よく聞いてね。お母さんは今日、この家を出て行くの。お父さんと離婚したの。わかるかな? お父さんと別れたの。だから、もう、この家にいられないの」

「私もお母さんと一緒に行く!」

「ごめんなさい。お母さんもそうしたかったけど、お父さんには、登世子ちゃんが必要なの。お母さんを許してちょうだい」と、母は涙を溢れさせ、声をふるわせて言った。私はもう何も言えなかった。

母は急に手早くコートを着、ショールを巻いて、大きなカバンを持ち、玄関へ行った。私はプーさんを抱いたまま、そのあとをつけた。母が靴をはき、玄関のドアをあけた。

「お母さん!」と私は叫んだ。母はゆっくり振り返った。そしてカバンをおろし、もう一度、私の両腕をしっかりと持った。

「登世子ちゃん。どんな時も、微笑んでいるのよ。そうしていれば、きっと幸せになれるから、ね。お願いね」

「うん」と、私は母の目を見つめて頷いた。それを見て、母は手を離し、カバンを持って、走るように家を出て行った。

※本記事は、2019年6月刊行の書籍『愛』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。