叙達(シュター)さま
おかわりありませんか。
あのあと、私は、しばらく尼僧のかたがたのご親切に助けられながら、平穏無事に過ごさせていただいておりましたが、このたび、ようやく、父母のいる福建(フージェン)に帰ることができました。

ほんとうは、たすけ出してくださった叙達(シュター)さまに、いちどご挨拶申し上げて、おゆるしを得てから――と、考えておりましたが、僧坊のどなたも叙達(シュター)さまの居所をご存じなく、途方に暮れました。

おなじ京師にいながら、お会いしたい方にお目にかかれないのは、もどかしいものでした。

ご住職と、曇明(タンミン)師に相談いたしましたところ、はやく両親のもとにもどって、安心させてやりなさい、とのお言葉を頂戴し、私は船上の人となりました。

船中、母とずっと一緒でしたが、叙達(シュター)さまのことを忘れることはありませんでした。

そのことを、お伝え申し上げたかったのです。

この手紙を大千佛寺(だいせんぶつじ)あてにお送りします。近いうちに、僧坊のどなたかが、この手紙をとどけてくださいますように。

いつかまた、叙達(シュター)さまにお目にかかれる日を、心よりお待ち申し上げます。

曹洛瑩(ツァオルオイン)

この二年あまり、漁門に看破されぬよう、寺に寄りつかなかったばかりではなく、こうして麵売りとしてはたらいていることも、だれにも明かさなかったのである。もっとも信頼していた、大千佛寺の住職や、曇明(タンミン)師にさえ。

――そうか、あの子が、父母のもとに。

はるか南、福建(フージェン)の地の、どこかで咲いたであろう、家族だんらんを想像して、私はひとり、うれしさと、さびしさを、ともにかみしめた。

とにかく、親許にかえれたのだから、この一件は落着した――ように思われた。

生きていれば、いつかまたどこかで、会えるかもしれない。

めぐりあった花の記憶を、胸のおくにしまい込んだ。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『花を、慕う』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。