宗像は礼を述べながら、予想しなかった事態に軽い驚きを表した。

まず初めに薄い図録を取り上げて表紙を見ると、一九六七年、一九六八年、一九六九年と三年連続して発行されている。全て個展の図録である。パラパラと中を捲ると、数点の油絵に若干の素描画が載せられている。

全部で十ページほどの極薄い代物だった。他の二点も同じような体裁なので、まずはハード・カバー本から見ていくことにした。

この一冊は、一九七〇年、ピエトロ・フェラーラの絵が、英国ロイヤル・アカデミー絵画部門特別賞を受賞したことを記念して出版された特別な画集だった。宗像は画集の最後に書かれた略歴から目を通し始めた。

ピエトロ・フェラーラ:Pietro Ferrara

1934年イタリア、ジェノバに生まれる。

1960年ロイヤル・アカデミー美術学校を卒業する。ヴェネツィアでサン・ザッカリア教会に描かれたカスターニョのフレスコ画他の修復にかかわる。

1961年ヴェネツィアでアンナと結婚する。

1963年フィレンツェに居を移し創作活動を開始する。長女が生まれ、ユーラと名付ける。

1966年ロイド新人賞受賞。

1967年ポートレート部門ロイド賞受賞。

1968年エジンバラ芸術祭特別賞受賞。

1969年フィレンツェ賞絵画部門授賞。同年、アムステルダム絵画コンクール特別賞。

1970年ヴェネツィア芸術祭金の鍵賞受賞。同年、ビクトリア・アルバート記念大賞受賞。英国ロイヤル・アカデミー絵画部門特別賞受賞。

※画集に掲載、発表されている油絵は総数二十八点。他にスケッチが約十余点。

「これを見る限り、確かに凄い画歴ですね。わずか数年間だけですが、毎年毎年の受賞に次ぐ受賞……」

「画集には一九七〇年までしか記載されておりません。でもその後のピエトロ・フェラーラについても少し調べてみました。すると同年、お嬢さんのユーラさんがサルデーニャでお亡くなりになっていることがわかりました。翌七十一年、フェラーラは奥様とポルトガルに移住しております。すると翌七十二年三月、今度はフェラーラさんが、ポルトで水泳中に水死されたのです。享年三十八歳でした」

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。