それを“残語”と言って、何かにつけて、そればかりを口にするようになるんです。例えば、メガネに執着がある人なら、『メガネ、メガネ』と、時計を大事にしている人なら『時計、時計……』と。

YESでもNOでも、それしか言えなくなるんです。だから、テレビのリモコンを指差して『メガネ、メガネ』って言うものだから、いぶかしみながらも『はい、メガネ』ってわたす。すると、『違う、リモコンだ!』と言いたくても『メガネ!』って怒鳴って、意思の伝えられないもどかしさから、手にしたメガネを投げつける……、なんて具合です。」

そうか、母は「ありがとう」の言葉を最後に残すことを選んだのか。まったく、母らしい選択だ。

そして今は、その過渡期にあるわけであり、もうじき母は「ありがとう」の一言を残して何も喋れなくなり、更に、いずれそれさえも失ってしまう。もし私が母と同じ病気になったら、いったい私はどんな言葉を最後に残すのだろう……。

夕方になり、顧客からの電話で私は出かけることになった。が、たまにしか会えない兄と母に、二人の時間を作ってあげられたのは好都合だと思った。用事を済ませ部屋に戻ると、兄と母は抱きしめあって泣いていた。兄は大きな図体を震わせ、母はその太い腕の中で……。

「俺に内緒で隠し財産の在処(ありか)でも教えていたのか」と、いつもの下らない冗談に、母は「教えたよ、教えたよ」と、愉快げにはしゃいだ後、ふと意味深げな言葉を言った、「さっき、思い出した。幸せの……」と。

その続きの言葉はついに出てはこなかったけれど、こうして三人で時を過ごし、一緒に笑ったり泣いたりしていられる瞬間こそが何よりの幸せだと、私も母も兄も心に感じていた。

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※本記事は、2020年7月刊行の書籍『ありがとうをもう一度』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。