その八 出会い・気づき

④ 捨てられたメモ

平成七年十月の終わり頃です。今まで何回小手帳を破かれ捨てられたことでしょう。その日、家に帰ると、彼にまたもや、小手帳が切り裂かれ、破られ捨てられ、その切れ端がトイレの便器の中と外に散らかっていました。

私のその時々の気持ちを記したメモ、辞令、永年勤続表彰の写真も破られ流されていました。この時「私という存在を全て否定された」と受け取っていた私がありました。思えば、決してそれが全部否定されたわけではないのですが、耐えられなかったのだと思います。

彼はまた絡んできます。「もう、イヤ!」。何度も我慢してきたのです。もう、本当にここにはいられないと、私はそのまま家を出たのでした。

私の職場の近くで安い宿を探しましたが見つかりません。仕方なく前に泊まった家の近くのビジネスホテルに泊まりました。

翌日、住宅探しのため住宅公団(現・独立行政法人都市再生機構・賃貸)募集センターに行きました。しかし、戸籍上一緒に住んでいる夫婦の場合は、「住民票」を移さないと応募できないことを知りました。

この年になって、住む家ですら探せない私、探す術を知らないのです。何もできない自分であることに、我ながら情けなく恥ずかしい女であり母であると思うのでした。長男からも「帰ったらあぶない、ダメだ。一時身を置くところを探した方がいい」と言われました。

そのような言葉を聞くとは……。思えば、親が子供に心配をかける何とも哀しい姿です。罪の意識を感じてしまうのです(※「哀しい」の文字を使ったのは、心の中に想いを閉じ込め胸がつまるようなかなしい心情、あわれ、寂しいとの意味合いがあり、主観的な心情を表したかったからなのです)。