謎多き天才が残した一枚の絵画をめぐる、
超大作アート・ミステリー。
写真家の宗像は、偶然訪れたロンドンの画廊で、一枚の肖像画に心を奪われる。絵画の名は、夭折した謎多き天才画家ピエトロ・フェラーラの「緋色を背景にする女の肖像」。フェラーラの足跡を追い求めてたどり着いたポルトガルの地で、宗像は美術界を揺るがす秘密に迫っていた。美術界と建築界に燻るスキャンダル。その深部と絵の謎が交錯していく。アートに翻弄された人々の光と影を描き出す、壮大なミステリードラマを連載でお届けします。
「それではこうしよう。トラファルガー広場に面するナショナル・ギャラリーを知っているだろう。そこの美術資料部を紹介しよう。なかなかのものだぞ。だから、もしそこでも分からなければ、ピエトロ・フェラーラとは全くの素人か、または、その程度の画家と断定してもいい。そうでもなければ……幽霊画家かもな?」
ちょっと失礼と断り、心地は携帯電話のボタンを押し始めた。しばらくして相手が出たようだが、反響する空間の中でフェラーラという部分以外は聞き分けられなかった。ほどなくして話がついたのか、電話をジャケットにしまい込んで言った。
「おい宗像。お前のことだから、これからすぐにでも行きたいのだろう? 二時に伺うとアポイントを取っておいた。ナショナル・ギャラリーの正面玄関に向かって左側に、セインズベリー・ウイングと言われている新館がある。その地下一階に美術資料部があるから、そこでメリー・モーニントン女史を訪ねてくれ。彼女は美術資料の専門委員だ。いま直接頼んだから、玄関受付で彼女のアポイントが二時に取れていると言えば中に入れるよ。玄関は、セインズベリー・ウイングの真裏にあるから直ぐ分かる」
「しかし、今日のテート・モダンは?」
「オイ、オイ、あちらを先にしたいと顔に書いてあるぜ。今夜、チャイナ・タウンで一緒に飯でも食おう。そのときにでもフェラーラの話を聞かせてくれ。テートはまたの機会だ。ところでお前、携帯電話ぐらい持てよ。プリペイドなら五十ポンドほどで手に入るはずだ。どうも今後連絡を取り合う必要がでてきそうだ。俺の番号は、ほら、この名刺に書いておく。お前の新しい番号は、今夜俺と会うときにでも教えてくれ」
「すまない。俺から頼んでせっかく会えたばかりなのにな。でも恩にきるよ」
「そうと話が決まれば、これから俺もすることがあるからここで別れよう。夜七時にソーホーでどうだ? レストランを決めてホテルにメッセージを入れておく。リージェンツ・パーク・ホテルだな? ローズ・クリケット・グラウンド前の?」
「そうだ、では夜七時。ソーホーで」
宗像はあのミステリアスな絵やピエトロ・フェラーラについて、是非とも何らかの情報を入手したいものだと思った。そうでなければ、写真など気を入れて写す気分になりそうにもない。そんな旅になるような予感がしたのだった。
※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商