「すぐに戻るから、ここで待っていてね」

今夜の段階では、こう言うしかない。彼は、胸に苦しさをおぼえ手の平を胸にあててエレベーターに向かった。彼女は、なんにも気にしている様子を見せはしなかったけれど。

エレベーターに乗りこんだとき、腕に巻きついてる時計を見るとNULLSで新二からの連絡をうけてから1時間とすこしを越えたぐらいの時刻になっていた。『まぁ、だいたい時間通りだな』と、思いながら彼は、エレベーターの中で、二人のDJから集金した現金を確認した。

新二に渡す分を、封筒の中に入れて残った分を、たたんでポケットに収めた。「ふぅー」と、1息つく頃にエレベーターのドアが、静かに開く。

ここは、このビルの最上階フロアー。3世帯分のドアが、並んでいる。目指すドアは、エレベーターの正面にある1枚。

ドア横に、備え付けてあるインターフォンのボタンを押すと、すぐに内側からロックの外される音が、タンッと、人気の全くないフロアーに響いた。

翔一は、ロックの解かれたドアを、自分の体が通りぬけられるだけ開いて、体を中にすべり込ませ、後ろ手にわずかな音をもさせずドアを閉める。新二は玄関で、翔一のためにスリッパを置こうとしているところだった。それを見た翔一は、普段より少し声のトーンを下げて

「新二、悪いっ。今日は、急ぎなんだ。ゆっくりしてる時間がないんだよ。また今度、ゆっくり来るからさ」

そう言いながら、キャッシュ入りの封筒を新二の前に差し出すと新二は、

「えーそうなのー、最近、翔ちゃんあんまりうちに来てくんないから、今日は、ゆっくりしてって欲しかったのになぁ」

新二はすごく、残念そうに言った。ガキの頃からの、ながーい付き合いの新二とでさえ、それぞれの生活する環境が、たがいに変化してしまったことで、あまり会う時間が作れなくなってきた。

『大人になるということは、こういうことなのかなぁ』

※本記事は、2017年9月刊行の書籍『DJ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。