「おつとめ、大変でしたねえ」
おもちゃ屋のおやじが、爺さまの背中に手をかけた。

「なんの。永楽のときの方孝孺(ファンシャオルー)にくらべれば、わしなど足下にもおよばんわい。方孝孺(ファンシャオルー)は、一族もろとも滅びても、正しいことを曲げなんだ。ああいう人が出て来るうちは、まだまだ世の中、すてたもんではないわいの。しかし、保身と、懦弱(だじゃく)と、卑怯が世にはびこるようになると、誰も、なにも言わなくなる。

生命が惜しくて、無法がおこなわれていても見て見ぬふり、知らんぷり、そんな気風が蔓延すれば、住むにたえぬ世の中になってしまうわいの。そんな世の中は、ごめんじゃ。東廠、何するものぞ! ほっほほ、そういう気概は、もっていたいのう」

「お見それしました、先生!」

おもちゃ屋はすっかり感服のていである。私は、なかば感心もしたが、なかば迷惑も感じていた。まきぞえを食うのは、勘弁してもらいたい。

「ご高説、もっと聞かせてもらえませんか?」

おもちゃ屋がそんなことを言うものだから、にらみつけた。こちらの意中を察したか、彼は爺さまの背中をおして、うながした。

「あっちで酒でもやりましょうよ。てまえは子供相手のおもちゃをつくってるんですがね、いや材料さえいいものが手に入れば、ちゃんとした細工もつくってみせますよ。もとは宦官でして……」

悪いことにならねばいいが。

「叙達(シュター)」
苦力ふうの男がぼそりと口にしたのは、わが字(あざな)であった。

「叙達(シュター)、わしじゃ。わからぬか」

男は、髪――いや、髪だと思っていたのは、かつらだったのだ――をずらして、禿頭をみせた。

「曇明(タンミン)師!」

太い眉の下で、少年のような目がわらっている。

「ど、どうして、変装などを……?」

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『花を、慕う』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。