「それは一口ではいえませんので、お目にかかってからにしましょう。これからそちらにおうかがいしたいのですが、よろしいでしょうか」

「これからですか」そういって時計をちらりと見た。午後七時になろうとしている。「わたしはかまいませんが、奥さまのお時間は大丈夫ですか」

「時間は大丈夫です。では、これからおうかがいすることにします」
夫人は、強い意志を感じさせる声でいった。

およそ予想した時刻に、高槻恵美子はマンションに到着した。沙也香は来客をリビングに通し、用意しておいたコーヒーを出した。

「このたびはほんとうにご不幸なことで、お悔やみ申し上げます」
沙也香は神妙な口調でいった。

「ええ。突然のことで少しびっくりしましたが、でも主人の身になにか起きそうだということは、ある程度覚悟はしておりました。だけど交通事故だとは思いませんでした」

「えっ、ご主人になにか起きそうだと予感されていたのですか。なぜそんなことを……」

「今日こうしてうかがったのは、その話をするためです」夫人は唇をかみしめた。「主人は、このところずっと監視されているようだと申しておりました」

「監視……ですか。なぜでしょう」
「ご存じだと思いますが、主人は古代史の研究をしておりました」

「ええ、知っています。これまでの常識を覆すような新説をいくつか発表されておられますよね」

「そうです。主人としては絶対の自信を持って提出していたのですが、一つとして学界で認められたものはありません」
「なぜですか」

「学界のいわゆるオーソリティといわれる方々の説を否定しているからです。歴史学では、ある説が正しいかどうかの判定は、判断する人の主観によるしかありません。ですから権威のある学者の説を否定するようなものが認められることはまずないのです。じつはわたしも若いころは研究者としてやってきましたので、そのあたりの事情はよくわかります」

「奥さまも研究生活をされていたのですか。やはり歴史学を?」
「いいえ。わたしのはまったく違う分野です。でも学者の世界はどこでも一緒ですわ」

「そうでしょうね。なんとなくわかる気がします。でも監視されていたというのはなぜですか。それはいくらなんでも異常だと思いますが」

「そうですよね」夫人は笑みを浮かべた。「でも、主人が発表しようとしていた研究の結論がそれほど重大なものだったからです。だからそこまで警戒されていたのだと思います」

「いったいどんな研究だったんですか」沙也香は思わず身を乗り出すようにして聞いた。

「それが、よくわからないのです」

「よくわからない? ご主人はなにもおっしゃらなかったんですか」

 
※本記事は、2018年9月刊行の書籍『日出る国の天子』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。