東京都立広尾病院事件東京高裁判決と医師法第21条

東京都立広尾病院事件東京高裁判決についての考察

長くなったが、重要判決なので重要箇所はできるだけそのまま記載した。この判決の大きな意味は、第1審の東京地裁判決を破棄したことであり、東京高裁が自ら医師法第21条及び検案の解釈につき、見解を示したことである。

被告人(院長)は、医師法違反、虚偽有印公文書作成・行使の罪で処罰されたが、高裁判決文の内容は医師法第21条の解釈上重要な点を含んでいる。第1審である東京地裁判決と控訴審の東京高裁判決の大きな違いは、「異状」を認識した時点、即ち、医師法第21条の規定の24時間の判定起点が異なることである。

その前提として、東京高裁は、

①医師法第21条が定める死体の「検案」とは、「医師が死亡した者が診療中の患者であったか否かを問わず、死因を判定するためにその死体の外表を検査すること」と定義している。その上で、

②第1審の東京地裁判旨に触れ、

③東京地裁が死体の「検案」と認定した死亡確認時刻(平成11年2月11日午前10時44分頃)の外表検査は、死体の着衣に覆われていない外表を見たにとどまるとした。心臓マッサージ中に右腕の色素沈着に気付いていたとの検察官調書も具体的記述ではなく、「じっくり確認まではしていなかった」としている。

警察官調書その他の証言と照らしても、死亡確認時刻にC医師は「右腕の異状に明確に気付いていなかったのではないかとの疑念が残る」とし、第1審判決に事実誤認があるとした。前にも述べたように、東京地裁は、経過の異状を主な根拠としながらも、外表異状も根拠の一部として挙げている。

高裁判決は、この地裁判決の「外表異状」の判定を明確に否定した。「じっくり確認」し、「明確に気付いて」いなければならないとし、東京地裁の認定時点では、「外表異状」を認めたとは言えないと述べている。この高裁判決は、「外表異状」の明確な「認識」が必要であるとしたところに大きな意味があると思われる。