⑯ 「これでもか! これでもか!」

まだ「信心を捨てないのか!」と言われては責められ続けたこれらの数々の事実、まるで「これでもか!これでもか!」と……。それは、私の至らなさを成敗するが如くです。

あるいは、仏様から「まだ信心の大事なことがわからないのか」と、私の心を諭すために、もしくは「こんな生き方はおかしい。罰(苦しみ悩むマイナスな側面)の姿」だと早く気づきなさいと。

雨、霰となって、降り注いだのでしょうか。わかりません。この数々の出来事によって、私の心には「怖さ」が益々肥大化し、私自身の心も、正常に判断できない程に狂わせていったのでしょう。

昭和四十七年、結婚と同時に信心から離れ、彼に大事な御本尊様を破られての姿でした。子供の頃から朝夕の勤行を欠かさなかった私が、勤行できないことの苦しみを知り初めは通勤の道すがら心の中で勤行をしていましたが、そんな日には、必ず暴力を受けるのでした。

耐えている生活の中で、両親への思いが募ります。どんな親でも生きていてくれたらと思うのでした。また、両親の追善供養もできない自分を思うたびに、御本尊様が脳裏に浮かびます。

すると、不思議にもそのたびに彼から暴力を振るわれました。

それはまるで、彼が何か嗅ぎつけるかのように……。

益々、私は、信仰の心から離れていきました。

『とをさかりぬればすつる心あり』〈『御書(一二〇六頁)』〉

と仏様の御言葉のとおりの姿です。