第一章 ある教授の死

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「そこまでは考えていません」松岡は慎重な口調でいった。「これが最悪の交通事故になったのは、不運が重なったためです。冷却水を抜いた人間も、それが死亡事故につながるとは予想していなかったと思います。すると目的はなんだったのか─それは教授があなたのところへ行くのを阻止しようとするためではなかったか、ということが考えられます」

「わたしのところへ来るのを止めるために、車をオーバーヒートするように細工したといわれるのですか」

「そう考えるのが、一番合理性があるように思われます。ですから、どんなことを高槻さんが依頼されようとしていたのかを尋ねたわけです」

「でも具体的なことは、まだなにも聞いていなかったんです」

「どんなことを依頼されようとしていたのか、見当がつきませんか」

「ええ。まったく見当もつきません」
と沙也香が答えたとき、松岡の携帯が鳴った。

「失礼します」といいながら松岡はソファーから腰を浮かせ、部屋の隅に移動してひそひそ声でなにやら話していたが、やがて戻ってきて沙也香の正面のソファーに腰掛けた。

「あ、せっかくですからいただきます」と松岡はいって、すっかり冷めてしまった紅茶を一口すすった。「いま、高槻さんの奥さんが所轄署に到着されたそうです」

「え、奥さまがですか」

沙也香は複雑な思いでつぶやいた。きっとすごいショックを受けていることだろう。そしてそれ以上に沙也香の心を強く揺さぶっている思いがある。

─夫がわたしのところに来ようとして交通事故に遭い、死亡したという事実を、彼女はどんな気持ちで聞いたことだろう!

「その奥さんがですね、あなたに会いたいといわれているそうなんですが、どうされます」
「わたしに、ですか?」
「そうです。そういわれているようなのですが」

「でも、わたしはご主人のことをなにも知らないし……」沙也香は戸惑いながらつぶやいた。