部分最適と全体最適(図1)

病院内の会議などで、各診療科の部長クラスが意見を交わした際に、自診療科の都合で主張を述べる場面に出くわすことがよくあります。各診療科にとってみれば重要な案件で理論上も整合性があり部分最適(suboptimization)ではあるのですが、その施策を行うには莫大な費用や人材を要し、病院全体にとっての全体最適(totaloptimization)でないことがあります。

[図1]全体最適

各診療科が主張する“部分最適”をいくら積み重ねても“全体最適”にはならないことから、常に病院全体の“全体最適”の視点を持った人材の育成が必須です。

部分最適と全体最適に関して、日常的に分かりやすい例を述べますと、小学生の頃、遠足や修学旅行の帰りのバスが自分の家の前を通過しているのに止めてくれず、学校までバスに乗り、同じ道をとぼとぼ重い荷物を背負って戻って帰宅したという経験は誰しもあるかと思います。重い荷物やお土産を持って家に帰らなければならず辛かったので、バスが通過した際に家の前で降ろしてくれればと思ったものです。

その人にとっては家の前で降ろしてくれると好都合ですが(部分最適)、一人ひとりのために1軒ずつ止まっていたら、学校での解散は深夜になります(全体最適を損います)。個人にとって最適であっても、全体としては帰宅時間が遅くなってしまいます。

新人看護師が、病棟で差し入れの弁当が冷めているから温めて欲しいと言われ、親切心から電子レンジで温めたところ、その患者から感謝されたが(部分最適)、翌日同患者から別の看護師が温めてくれと頼まれ断ったところ、昨日は温めてくれたのにというクレームになったといったエピソードがあります(“全体最適”を損なう)。

1人の看護師のその時の親切心そのものは素晴らしいことであっても組織全体のバランスを崩すということがしばしば起こります。両方の看護師ともに間違いではないのですが、医療現場ではこういうもめ事が発生するとどちらが正しいかという主張の応酬になりがちです。

エスカレーターでも、左側に1列に並び右側を空けて、急ぐ人はエスカレーターを歩くという場面がありますが(部分最適)、左側の1列が混雑し(大阪では右側?)、なかなかエスカレーターに乗れないことがあります。しかも、右側は誰も乗っていないということを経験します。

ごく一部の急いでいる人にとっては最適ですが、1列が混雑して全体としてはエスカレーターに乗るまでの時間が長くなってしまっています。ごく稀に急ぐ人の利益を無視して、全員が2列に並んでエスカレーターに止まって乗れば全体としての待ち時間が減少し(全体最適)、その上右側を歩く人の事故も減少するかもしれません。既に名古屋市の地下鉄では2列で乗るようになっています。