食堂の前を通りかかると、皆で魚釣りごっこをして遊んでいたので母も仲間に入れてもらった。紙で作った魚を針金ハンガーの竿でヒョイと上げる子供じみたそれを、母は甚(いた)く気に入ったようで、大いにニコニコ顔で大漁だ。

言葉なきこの笑顔は、本当に天使のようである。

[写真3]魚釣りごっこでニコニコ

部屋に戻り一息つくと、母は「いつも一緒にいて……」と言って、窓の外を見ていた顔を、やおらこちらへ向けた。そして、じっと私を見る目をそらそうとしない。子犬のように円つぶらなその目を、私も見つめかえした。

こんな目を、確かに昔、見たことがある……。

そうだ、私が十六歳のころに拾ってきた、あの白い子犬の目によく似ている……。

あれは、せつない出来事だった。車の行き交う大通りを渡ろうとしていた危うい子犬を私が連れ帰ったのだが、当時は父の会社の社宅に住んでいたものでウチで飼ってやることが出来ず、母が頼んで兄の友達の家に引き取ってもらった。

ところがその犬、また道に飛び出して、たった一週間で死んでしまった。

私はその事を半年以上もしてから知らされた。私を傷心させぬよう、母が気づかったのだ。

たった数日を過ごしただけの子犬の死に、思春期の感受性はひどく痛んだ。そして、あの子犬は、あの時、車にはねられ死ぬ運命だったのを、わずか十日ばかり延ばしてあげたに過ぎなかったのだと合点し、その十日が子犬にとり何の意味があったのだろうかと考えた。

今、母の運命である命を、私の手で少しでも延ばしてあげることが叶うとしたら、いったい何をしてあげれば良いのだろう。

母は、「いつも一緒にいて……」と、繰り返し私に言った。

ガン患者は、ひたすらに孤独であると聞く。その底なしの不安の前には、誰も為す術を持たない。けれど、せめて今は母の傍らに寄り添い、この時を共にしてあげたいと願う。

遠い昔、風邪をひいてゼーゼーと唸る私の背中を、「辛いね、苦しいね……」と、さすりながら泣いていた母のように。