H社・電子部品製造業・存亡の危機が転機に

H社の製造する部品は、当時世界の90%を日本が供給し、それをH社を含む主要2社がわけあっているという有力な商品でした。支援開始は1999年1月、厳しい国際競争に直面してより強固な経営基盤を築くための“生産性向上”を目的に始まりました。

1、1年次

1年次は組織横断のプロジェクトチームを20チーム編成し(4S、組織の活性化、品質改善、生産性向上、納期確保etc.)全社総動員の体制でスタートしました。H社の活動の特徴のひとつは、事務局の指導力が優れていたことでした。

1例を紹介しますと、4Sでは、H社の現場写真を取り込んだ独自の改善事例やテキストを作成され、随時それを掲示板に掲示されて改善を促されました。

その他、

・約束納期確保率的95%以上(遅延率改善30%以上)達成
・在庫削減30%以上達成
・生産性向上30%以上(日産900台を1200台以上)達成etc.

等まだまだ改善途上ではありましたが1年次から成果が着々と上がっていました。然し、そんな中で2度に亘って経営に大きな影響を及ぼす変化がありました。

1)中国進出

一つは4月に中国に工場進出したことでした。それに伴う社員の中国異動や出張応援などで、国内の陣容が大変手薄になり、そんな中で活動を進めることになりました。

2)債務超過の危機

社内に大きな危機感が走る出来事が起こりました。グループ内の赤字会社を吸収合併することになったのです。当時H社は、発展途上国の追い上げもあって厳しい競争にさらされていましたのでもしかするとこの合併で債務超過に陥ってしまうのではないかとの危機感が全社に走りました。

一方、その事業は、技術的に優位性のある、然もグループを代表する部品の製造事業だったので、飛躍発展を期待されこそすれ撤退はあってはならない事業でした。是が非でも生き残りをかけて事業存続のための努力を払わなければならなかったのです。そこで私は社長に次の提案をしました。