ところが、生まれつき腕がない場合は、それがその人にとっては、生まれつきですので当たり前の状態です。この社会で生活していくに従い、だんだんに生きにくさを感じてきます。いや、感じざるを得なくなっていきます。

それは、この社会は健常者(定型発達者)にとって生活しやすいようにできあがってきたからです。そのため、ユニバーサルデザインといって、文化・言語・国籍・老若男女、健常者と障害者といった差異、能力を問わず利用できることを目指し、障壁なく生活できる社会設計が望ましいのです。

これは、設備や施設だけでなく、社会全体を構成する国民意識のもち方にもかかわってくることです。たとえば耳が聞こえず、文字を書いたりや計算ができなくても生活するうえでなんら問題が生じないのであれば、そこに障害を見出すことはできません。

周囲の人からすれば問題があるように見えるのでしょうが、本人は生活していくうえでなんら制約を感じないのであれば、障害はないという考え方になってきました。それが「社会モデル」といわれる障害観です。

障害のとらえ方は個人の立場や環境によって変わってくるということです。つまり障害は、時代や個人の立場、本人の感じ方、周囲の状況などの環境によって変わるという主観的なこととされ、社会モデルに基づく障害観が一般的になってきたのです。

※本記事は、2019年6月刊行の書籍『もしかして発達障害? 「気になる子ども」との向き合い方』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。