そしてそれは
現実的な人間の気配を唯一伝えていた自分自身の足音を
いつのまにかかき消していった……

そのうち私は自分の内面の中に
いつのまにか「客観的な現実世界」の視点がかき消え
内面が「主観的な自己世界」のみになっているのを感じた
自分の中にあった時間や位置の感覚が消え
自分が現実の空間や時間を超えた不思議なところに入っているのを感じた

通常の生活の中では
なかなか実現の難しいことかもしれないが
客観の消えた状態での「主観的な自己世界」のみの内面は
感受性を要素として成り立つ
純粋な感覚神経の塊のようなものだから
「主観的な自己世界」=視界となった時の高揚感は筆舌に尽くしがたい
客観が一通り失われているので
視界に映るものとの自他合一が容易に起こる
瀟洒な梢の影をじっと眺めていると
それが自分の一部のように思え
暗紫色の空が静かに内面に流れ込み
自分の外側の隙間をいつのまにか背景のように埋めている

自分は幸運な夢の中にいるように幸せだった
この時
初めて自分は自分の内面と外側の世界が
ぴったりと一致しているのを感じた

内面と外界が入り乱れ自由に飛び交う感覚
世界にただひとつ自分の意思でみられる夢
もしかしたら
このとき自分は本当に目を瞑っていたのかもしれない
内面世界が外側へ拡散して外界に一致すれば
視覚など全くいらないとさえ
感じられるから……

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『静寂の梢』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。