徳川家康の「裏」戦略。その真相は…

(2)信長嫌い

私:もう一つの家康の対前田戦略、つまり「裏」戦略を話そう。家康は信長を嫌い、信長的なるものを前田から排除したんだ。

N:利政に信長的なものがあるのですか?

私:利政には利家的なものがある。家康は利政に利家と信長をみた。

N:家康と利政、2人の接点は、いつ? どこでですか?

私:利家の死の直前、家康と利家との相互訪問があった。そのとき家康は自分の暗殺を企てる利政に利家と信長をみたのだ。

N:前田から信長的なものを排除した具体例は何なのですか?

私:利常藩主指名だな。家康は前田から利家と信長的なものを排除しようとした。そしてまつ的なものも排除しようとしたのだ。

(3)利常指名

私:家康は利常を利長の次の加賀藩主に指名したが、利常はまつの子ではない。利家とまつの男の子は、利長と利政の2人きりだ。

N:利家と側室の男の子は?

私:利常を含め4人だな。

N:まつに男の子がいないじゃないですか。それじゃ、利長の次に家康もまつの子を選びようがないじゃないですか? しかも信長排除もありませんし……。

私:家康の認識は信長=利家=まつなのだ。

N:信長排除が弱いですね。

私:そこまでいわれれば、作蔵君、証拠を出そう。家康は前田だけではなく徳川将軍家からも信長的なるものを排除した。

N:大きく出ましたね。証拠は何なのですか?

(4)家光指名

私:3代将軍に家光を選んだことだな。

N:家光を選ぶことがどうして信長排除になるのですか?

私:家光は江(信長の妹・市の3女)の子ではない。『江の生涯』(福田千鶴)によれば側室の子だ。歴史ファンの支持は多い。

N:家光は春日局の子じゃないんですか?

私:徳川側にも家光の母は春日局との資料もある。しかし父は家康だったり秀忠だったりする。どちらにしろ、家康は信長的なるもの=国松(忠長)を故意に排除して、竹千代(家光)を選んだ。正室の子(国松)を排除して側室の子(竹千代)を選ぶ。徳川の世にあるまじき将軍継承ではないか。

N:秀忠は江を恐れて側室を置かなかった。それも作り話だったんですね。

私:そうだね。加賀藩5代藩主綱紀の妻は保科正之(綱紀を後見。家康のNo・2戦略を推進)の子。そしてその保科正之も秀忠と側室の子だ。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。