第1章 本書の重要事項

重要事項05 神は「わからないもの」の代名詞

神が宇宙を創造したとすれば、宇宙の原因は神になります。

その宇宙の根本原理とは何かという問いが、宇宙は①どのように生じ、そして②どのように動いているのか、ということであるとしますと、①の答えは神であり、②の答えは物理法則というようなことになります。この場合、宇宙の創造主である神は当然に②に精通していることになりますが、さらにそれも神の働きで動いていると考えることもできます。然るに、我々人間は神の存在を確認できていませんので、神に寄せて①の正否はもとより、②も知り得ておりません。

このような中、我々は、宇宙の根本原理は神である、という風に表現することがありますが、この場合、その宇宙の根本原理は人間にはわかっていないのですから、神は我々には「わからないもの」の代名詞になります。従って、「わからないもの」を神という別の名に呼び換えて全てを神の所為にしても、それで「何かがわかったことにならない」ことは明らかです。「わからない」ものを説明するために「もう一つのわからない」を持ち出したにすぎません。

又、神の存在及びその意志の存在を仮定しても、「わからない」神の意志について、何かわかった風なことを語ることは、「神への大罪」になります。なぜなら、神の認定を帯びてもいない人間の勝手な独り決めを神の意志として騙っていることになるからです。

重要事項06 裂帛の気風

禅には、「師に会わば師を殺し、仏に会わば仏を殺して、自己の究明に務めよ」という裂帛の気風があります。さらに視野を拡げて神を加えれば、「師に会わば師を殺し、仏に会わば仏を殺し、神に会わば神を殺して、自己の究明に務めよ」ということになるのでしょうか。

このことは、当然殺すということではなく、「師にも仏にも神にも頼らず、すなわち、師の教え、仏の説法、神の存在やその言葉にも頼らず、自身で納得の行く迄考えて自己を確立せよ」ということです。

論語でいう「温故知新(故きを温ねて新しきを知る)」、すなわち「既成のことをそのまま鵜呑みにするのではなく、もう一度自身で一から見直しその上で改良すべき点があれば改良し新しい知識とせよ」ということを意味しています。この思想は何も禅などを持ち出す迄もなく、ごく当たり前のことにすぎませんが、物事を考える際に厳に心するべきことになります。

「…神の存在でさえ、勇気をもって疑問を持ちなさい。神が存在するならば、愚かな恐怖心への服従よりも、根拠を立てることへの敬意に賛同されるにちがいありません」(トーマス・ジェファーソン Thomas Jefferson、偉人たちの無神論的50の格言より、うばQバラエティニュースサイト)