この事件から遡ること一年前の二〇〇四年二月、高倉譲二は南アフリカのヨハネスブルグに着任した。

定年を三年後に控えている身である。

このときマキシマ株式会社は倒産寸前の状態で、定年前の最後の奉公というにはあまりにも厳しい環境にあった。
七洋商事は日本のタイヤメーカー『ニホンタイヤ』の販売権を南アフリカとその周辺国で保有している。
その販売力の強化のために、現地でタイヤ販売とサービスを実施していた会社を二〇〇一年に買収した。マキシマという会社名は買収前の名前を継承したものである。

社名のみならず経営陣も南アフリカの白人をそのまま残していたが、杜撰な経営により倒産寸前となり、立て直しのために急遽高倉が現地へ派遣された訳である。

着任してわずか一カ月後に、高倉は早速南アフリカの最初の洗礼を浴びた。

その時、彼の車は篠つく雨の中をヨハネスブルグのF地区からS地区に向かう国道を疾走していた。
雨粒はアスファルト路面を激しく叩きつける。そしてはね返され、つぶされながら路面を流れ落ち、路肩の土に飲み込まれて行く。

ほぼ真っ直ぐな道で、普段は何ということはないが、豪雨は彼に緊張運転を強いる。
社有車である4X4レンジクルーザーのハンドルを握り直し、忙しく動くワイパーの間から彼は路面を凝視していた。

ブライアンストンを通過して、信号のある交差点から少し左へカーブする。土曜日の夕刻ということで、車の通りは少ない。

カーブを曲がり切ったところに、パトカーのブルーライトが雨に煙って点滅していた。

「おっ、何かあったかな、止められたら面倒だな」
呟きながらやり過ごそうとした。