ボサード少佐

「とくまさん」が言った。

「実は、あなたをここに運び込むところを、門の警備をしている中国人民軍の兵士に見つかると厄介なので、あなたに『石炭の袋』をかぶせて運んだのです。そのせいで、制服が真っ黒になってしまいました」

「とくまさん」は申し訳なさそうに笑って見せた。そして、手にした制服を広げ、注意深く見ていたが、きれいに汚れが落ちていることを確認して言った。

「よかった。きれいになっています」

「とくまさん」はハンガーをはずし、制服をきちんとたたむと、上半身を起こしてベッドに座っているボサードの足の上にそっと置いた。

「私は徳間と言います。日本海軍の中尉(ルテナン)です」
徳間はそう言うと、言葉を切った。

そして、少し恥ずかしそうに微笑んで言った。
「ボサード少佐。あなたとは東京のGHQで、一度お目にかかっています」

徳間がそう言ったので、ボサードは少しの間、徳間の顔を見たが思い出せなかった。

「サンドイッチをお断りしたら、コーヒーをご馳走してくださいました」
黙っているボサードを見ながら徳間が言った。

ボサードは東京のGHQで、ゴミ箱に捨てたサンドイッチを拾って日本人の若い将校に差し出したとき、「日本海軍の軍人は、人が捨てたものは食べない」と言って断られたことを思い出した。このとき、高潔な日本人に対して、自分がした行為を恥ずかしく思った記憶がよみがえった。

「あの時の……君か……。君が助けてくれたのか」

ボサードはそばにいる男が、あの時の若い将校なのか見ようとしたが、目が腫れているため視界が狭く、顔がよく見えなかった。

「最初はあなただとはわかりませんでした。制服の名前を見て驚きました。世界は狭いものです。あのとき、あなたが名前の発音を訂正してくださったので、覚えていました」

徳間はボサードをじっと見て言った。

「私は一度も戦地に行っていません。敵と戦ったことも、殺したこともありません。日本は降伏し、戦争は終わりました。それなのに、道であなたを見殺しにしたのでは、軍人として恥ずかしいことですから」

ボサードは黙って聞いていた。

少し間があってボサードが尋ねた。
「なぜ、ここにいる。上海に」

ボサードの声は、息が漏れるようにかすれていた。

徳間は穏やかな表情をして答えた。