ようやく落ち着き、少し表情を和らげた母はおもむろに話しだした。

「お母さんが死んだら……」と、それから、言葉を考えているのか、発声できないのか、数分を待ち、「お母さんに、声かけてね……」と、やっと言った。

「お母さんが、いつもお婆ちゃんに話しかけているみたいにか……」

母は天井を見上げ「うん」と、うなずいた。

母は、いつも祖母に話しかけていた。出かける時は「母ちゃん行ってくるよ」、帰ってくれば、「母ちゃんただいまー。今日はね、アキと一緒に○○に行ってきたんだよ。楽しかったよ……」と。

不意に、母に遺言を言わせたいと思った。今でなければ間に合わなくなる……。

「他に何か話したい事はないかい……。お母さん、いつも言ってたよね……、『人間なんて一年一年わからないんだから、今は元気でも来年どうなるか知れない』って。高瀬先生も同じ事を言ってた……。脳腫瘍ってものは百人いたら百通りの症例があるって言うように、これからどうなって行くかは誰にも判らない。良くなるか悪くなるか、現状維持か……。だから、今しゃべれるうちに、言いたい事、伝えるべき事があれば俺に言ってくれ……」

母は半身を起こし、「べつに、言いたい事、ないよ……」と、言葉の代わりに溜め息をついた。

「それじゃ、明日までに話したい事を考えておいて。お母さんの莫大な遺産をどうするか……、半分は高瀬病院に寄付して、あとはユニセフに贈るとか、ちゃんと決めておいてね。遺産相続は大変なんだからさ……」

ようやく母が笑った。「うん、考えとくよ……」と、母は本当に嬉しそうに笑った。私は何より、この母の笑顔が大好きだ。

良かった……、今日という日が、母の笑顔で終わって本当に良かった。

老母(はは)ねがう この身くちても

忘れまじ

日々語りかけ 一緒(とも)にすごさん

※本記事は、2020年7月刊行の書籍『ありがとうをもう一度』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。