第一章 青天霹靂 あと377日

二〇一六年

二月十二日(金)晴

母を苦しめる失語症は日々進み、加えて、喉の声門が狭くなっているのか、発声そのものが苦痛であるようだ。その声は、子供のように甲高く変化してきている。

何度納得させても、翌日になればまた薬をやめたいと言って、聞き分けてくれない事にほとほと閉口している。

連日、「気兼ねだから、高価だから……」と、時に泣きながら全身で訴えるのだ。

今日は、それがあまりにしつこく強情なので、つい、「これ以上、俺を困らせないでくれ!」と、憮然と言い放ち、しばらく不機嫌に口をつぐんだ。

下を向いて本を拡げる私に、母は絞り出すような声で言った。

「お前が、そんな難しい顔していると……」

自分のつまらない感情より、母の精神の方が大事である。けれど、その時の私には場をつくろう事は出来ず、ただ時が過ぎるのを待つより外はなかった。

しばらく後、「それじゃ帰るよ……」と、立ち上がると、「今度いつ来るの」と、母は悲しそうな目で聞いた。

毎日来ているのに妙なことを……と、思いながら、「それじゃぁ、次は来年の正月にでも来ようか」と、冗談を言うと、「来年なんて言わないで……」と、母は顔を歪めた。

「冗談だよ、明日も明後日も来るから……」
「冗談じゃなくて、本当のことだけ言って。お母さんには分からないんだから……」

私はハッとした。冗談を冗談として解析・理解するという事は、脳にとって難易度の高い作業なのだ。自分の頭が既に冗談も解らなくなってしまったという事実を知った母は、今どんな思いなのだろうか。

夢を見ている時、その思考と感情は支離滅裂であやふやな反面、現(うつ)つの時の何倍も増幅すると思えることがある。悲しみ、不安、恐怖、喜び、感動といった感慨が常より鋭くなるのだ。

正体の分からぬ誰かに追われ底知れず恐怖したり、道に迷い途方もない不安に苛まれたりする夢は私も間々見る事がある。